『フルメタル・ジャケット』本作の日本語版翻訳・演出を担当した映画監督・原田眞人のインタビューが到着!鬼才スタンリー・キューブリックに選ばれし男が幻となってしまった吹替版の真相を語る!

字幕翻訳者交代劇から始まったキューブリック監督との絆
原田: 日本では一般的にFワードに対して「バカヤロー」とか「クソガキ」とか、通り一遍の訳し方をしちゃう。でもキューブリックは一言一言全部チェックしてたから、何がどういうふうに間違っているかっていうのを把握していた。英語圏の人にとっても初めて聞いたような罵倒の言葉を使ってるわけだから、それは日本人にとっても、初めて聞く罵倒の言葉じゃなきゃダメだって。「セイウチのケツにド頭つっこんでおっ死ね!」とかね。ああいうのが、その通りに訳されてなかった。それで、誰かそういう感覚が分かる奴いないのかってことで僕に話がきた。僕はキューブリックの気持ちも分かるので、喜んでやりましょうって。そのあとは、メールもネットもない時代だから、ほとんど毎晩のようにキューブリックと直接電話で連絡し、少し訳しては向こうに送って、それをキューブリックがチェックして。キューブリックからダイレクトに「ここはオリジナルとは変わっているけど、どういう理由なの?」と質問がきて、理由を説明すると、「元に戻そう」という時もあれば、「それでいこう」という時もある。そんな、細かいやり取りをしていった。でも、途中からはお互いの感覚が分かったし、僕は基本的にキューブリックの意向に沿ってやりたい、っていう気持ちを彼も分かってくれて、「任せるよ」ということになっていったんだ。
衝撃の事実!劇場公開用に製作された日本語吹替だった!
原田: キューブリックの意向で日本語吹替版を作ることになったっていうことは、劇場版として日本語吹替版をやりたいっていうことだったと思うよ。だけど日本語吹替版は劇場公開されなかった。でも素材としては存在していたから、水曜ロードショーでやろうって話になったんじゃないかな。ところが内容的に放送禁止用語が結構いろんなところに出てきている。それで放送できなかった、ということかもしれない。
だけどテレビ用の日本語吹替版とは比較にならないくらいお金かけているんで(笑)キャスティングも含めて。観たいと思っていたけど、なんで出ないんだろうってずっと思っていた。
キューブリックからもお墨付き!原田眞人翻訳・演出の日本語吹替版
原田: キューブリックも利重剛と村田雄浩をすごく気に入っていた。彼は各国の吹替え版を全部持っていて、言語バラバラのバージョンも作っていたって聞いた。その時の日本代表は利重剛がジョーカーをやって、それくらいスタンリーは利重剛のジョーカーを気に入っていた。
主要キャストに関しては、予めキューブリックに送って全部OKだった。キャスト選びで重要なのは、まず声質が似てるってことだね。ハートマンの場合は長台詞をずっと言わなきゃいけない。だから、とにかく喋り倒す技術がある人で考えた時に、一番最初に思い浮かんだのが斎藤晴彦さん。オペラもやっていたから声もいいし、リー・アーメイの声もかなり甲高いんからね、似ているし。収録はパートごとに2週間くらいかけてやった。「そんな無理言ったって、続けて喋れねぇよ!声が出なくなっちゃう。」斎藤さんが怒り出したこともあった(笑)あれだけの声を出すっていうのは大変だから、シーンごとに区切ってやった。もちろん全員でリハーサルもやったよ。吹替っていうよりは、自分の映画を演出しているように役者たちを使った。ただ唯一、「オリジナルの感じを参考にしろ、余計に言葉を張るなよ」って指示した。
僕自身が戦争映画で育っているから、戦争映画を作りたかった。そういう意味では、これがいいステップになった。役者をチェックする意味でも。戦場における言葉のやりとりなんかも、日本人の役者でもちゃんと出来るなっていう確信を深めたっていうことがありますよね。日本の兵士役って誇張して喋る傾向があるんだけれども、カウボーイ役の塩屋とかもすごくうまかったし。
敢えて日本語にせず、オリジナル音声を残した “Shoot Me”
原田: あれはいろいろ考えてね。日本語にしちゃ違うだろうっていう。これはベトコンだし、もっと異人種にした方がいいし。日本人の子を連れてきて、全体のトーンを崩しちゃうっていうのが怖かった。それをキューブリックにも言って、ここはオリジナルを使おうと思うって。向こうから言ってきたわけじゃなく、こっちの判断で。今観てみると、あの役にはキューブリックの思い入れも相当あって、娘のヴィヴィアンと似てるんですよね。表情とかね。ヴィヴィアンはこの作品で音楽をやっているし、「アビゲイル・ミード」っていうね。ハートマンが殺されたところと、戦闘シーンと、最後狙撃者の少女が死ぬところに使われる、あの不気味な音楽。あれは全部ヴィヴィアンが作っていて、スタンリー・キューブリックの跡を彼女が継いでくれるんじゃないかっていう思いが絶頂にあったのがこの『フルメタル・ジャケット』。その後、『アイズ・ワイド・シャット』の時に喧嘩しちゃって、ヴィヴィアンはL.A.に渡って、それでキューブリックは死ぬまで彼女に会えなかった。だからこの『フルメタル・ジャケット』が、キューブリックにとって最後の家族の思い出として残っている。それを考えてみると、あの狙撃者の少女、年齢的にもヴィヴィアンだよなって、顔もほんと似ているし。自分の娘に対する愛情とかが重なっていて、そういうのを殺せるのか、っていう問いかけをジョーカーや兵隊たちに突き付けてる、そういう感じがするんだよね。今観ると余計に『フルメタル・ジャケット』の「意義」っていうのがわかりますね。
キューブリック最後の傑作 『フルメタル・ジャケット』
原田: 『バリー・リンドン』と『シャイニング』と『フルメタル・ジャケット』の3作に関しては、観直してからどんどん好きになっていった。根底にあるのは、家族。娘たちが大きくなってきて、一緒に映画を作りたいっていう気持ちもあって、父親としてのキューブリックのね。その情の部分っていうのが出てきて、それがスタッフ全体、キャストにも、うまく広がっていってるのかなっていう。すごく詩的で。だからこの3本は、僕はキューブリックのある意味「絶頂」だったんじゃないかなって。そして『フルメタル・ジャケット』はキューブリック最後の傑作だ。

インタビュアー:酒井俊之/撮影:相澤利一/取材協力:月刊HiVi