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「ジョバンニの島」の舞台裏
第1回 総美術監督 サンティアゴ・モンティエルさん
ナビゲーター:設定制作・美術進行吉澤佑実子
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『ジョバンニの島』の美術には三人の美術監督がいます。その中でも、美術チーム全体がどんなスタイルやコンセプトで描いていくのか、その大本のスタイルを決める仕事をしたのが総美術監督のサンティアゴさんです。
サンティアゴさんの作り上げた独特の線を持つ美術スタイルは、スタッフの間で「サンティアゴ・ライン」と呼ばれ、『ジョバンニの島』の作品全体の方向性を決めることになりました。その特徴は「ガタガタとした歪んだ線」にあります。
アニメ制作の美術は、キレイに整った線で描くのが一般的です。整った線と遠近法に沿うことで、描かれた物体に大きさや距離感のリアリティを与えることができます。ところが「サンティアゴ・ライン」では、あえてそのやり方を逸脱したスタイルを採択しているのです。その「サンティアゴ・ライン」がよく分かる1枚から、「ジョバンニの島」制作の舞台裏を覗く旅が始まります……。
純平たちが移送された樺太の街並みの美術ボードです。画面の手前から奥の山へ向かって伸びた大通り、その左右には店などの建物が建ち並んでいます。この絵を見て誰もが気づくのは、建物や電柱の線が歪んでいることではないでしょうか。そして雪や壁の木目には、筆や釘か何かで引っ掻いたような跡が見つけられます。
他のアニメーション美術とは一線を画すこのスタイルを生み出したサンティアゴさんには、どんな想像力の源泉が沸いているのでしょうか。
――サンティアゴさんはアルゼンチン生まれで、フランスで働いて、今回こうして日本のアニメーション作品に参加していらっしゃいます。ご自身がカルチュラル・ミックスそのもののようで『ジョバンニの島』にはピッタリな方だとお思います。『ジョバンニの島』のお話を最初に知った時の感想はいかがでしたか?
サンティアゴ 非常に感動して、一発で気に入りました。『ジョバンニの島』には、ただ面白おかしいとか、冒険譚というだけでなく、人間の本質に迫るようなメッセージ性が随所にみられるので、僕の好みのタイプの物語です。登場するどのキャラクターも置かれている環境が複雑で、一言で善悪を言い表すことができないところにも惹かれます。なので、参加する事に意義のある作品だと思いました。
――『ジョバンニの島』の主人公は2人の子供ですが、サンティアゴさんが子供の頃に育った環境はどんな感じでしたか?
サンティアゴ 僕はアルゼンチンのブエノスアイレス近郊の小さな町で生まれました。周りは小さな家ばかりで、周りの住人のこともよく知っていたし、住むには良い所でした。海はなかったけれども、近隣の住人がお互いを知っている純平たちの暮らしていた環境はなんとなく想像できました。
――色丹島はサンティアゴさんが住んでいた町に似ていますか?
サンティアゴ 純平と寛太が住んでいる村のほうが、僕が育った街よりずっと綺麗ですよ。
――『ジョバンニの島』の中にサンティアゴさんの故郷らしさを感じるところはありますか?
サンティアゴ アルゼンチンらしい部分は……太陽の光ですね。初めて日本に来た時、夏の暑い日差に故郷を感じました。フランスのようなヨーロッパの国とは、光が全然違うのです。来日したとき、驚きと懐かしさを感じたのを憶えています。
――サンティアゴさんの出自やこれまでの経験が『ジョバンニの島』の作風に影響しているのではないでしょうか?
サンティアゴ もちろんです。僕が初めてヨーロッパを訪れた時は全てが目新しく、未知の体験ばかりで驚きの連続でした。
――サンティアゴさんには総美術監督というアニメーション制作では珍しい役職として、「ジョバンニの島」の美術コンセプト作りをしていただきましたが、いかがでしたか?
サンティアゴ 企画の初期から関わっていたので、ストーリーやメッセージに合うコンセプト・アート作りからはじめることができたのはチャレンジでした。どんな画風がこの作品には相応しいのか色々と試していく中で、ガタガタとした特殊な線で描くことと、木版画を意識したなるべくシンプルな色使いにする作風に辿り着いたのです。ただそのために、半分以上の背景美術を自分で手がけ、他の美術スタッフにもこの画風をマスターしてもらう必要がありました。
――どうして、木版画調の作風が『ジョバンニの島』には合うと思ったのですか?
サンティアゴ 理由は2つあります。まずこの物語は、純平の子どもの時の記憶が語られているからです。彼がその時々で感じていたニュアンスを伝えるためには、リアリスティックな描写ではなく、ドラマティックであるほうが適していました。それに、この物語はロシアと日本の2つの文化が出会いのお話でもあります。この文化の融合を背景でも表現してみようと、私の好きな日本の木版画作家である川瀬巴水や吉田博の画風と、もう一つ好きなゴッホの油絵のテイストを足して、2つの文化を混ぜてみたのです。
――サンティアゴさんが来日している間に、大好きな版画家の川瀬巴水の展覧会が丁度開催されていましたよね。実物を見に行かれていかがでしたか?
サンティアゴ 本でしか見たことがなかったので、本物を目にすることができたのは良い経験でした。今まで見たことがない川瀬巴水の作品なども展示されていて、製作方法の解説コーナーもあり、非常に興味深く貴重な体験でした。
――サンティアゴさんの独特の線を持ったスタイルが定着したのは、樺太の街並みの美術ボードを描いていた頃でしたよね。
サンティアゴ プロジェクトの最初期の頃に描いたボードですね。作品の中では後半に登場しますが、描いた順序でいえば初期の頃に描いていました。これを描いた時は2、3枚しか写真資料がなかったので、街にいる感じを想像するのが難しかったです。
――ソビエト通りの写真を元にしていましたが、今見直してみると、所々に日本語とロシア語が入り交じっていて面白いですよね。これも2つの文化の融合ですね。
サンティアゴ キリル文字はネットで探して作成しました。制作していた時は、色丹や樺太の重要な場面から手を付け始めていたんです。この段階で、作品のコンセプトに合う、写実と抽象の落とし所に一つの答えを見いだせました。日本語とロシア語が混在していることも合わせて、このボードは作品の方向性を決定づけていますね。
――この美術ボードからスタイルが確立していったように見受けられました。
サンティアゴ 樺太の美術ボードのスタイルで作品の方向性が見えたので、それまでにやっていた他の箇所のボードも、このスタイルに合わせて作り直しました。
――制作の時にとても印象的な思い出があるのが、銀河鉄道が走る宇宙のボードをサンティアゴさんが描いていた時です。この絵にとても集中していて話しかけられず、後日聞いたところ「絵の中を旅していた。」といっていたので、どういうことなのか気になっていました。
サンティアゴ 基本的に私が背景を作る時はいつもそうやって作業します。自分が背景の中に入り込んでいる感覚がないと、うまく描くことができないのです。よく音楽をかけて現実の世界から自分を切り離し、イメージの世界に没入して、その世界を背景として描くのです。ピンク・フロイドが特に好きです。
――背景作業中にはピンク・フロイドばかり聞くのですか?
サンティアゴ 作業している背景の内容や作業状況で変えています。サイケ系の曲を聞いていることは多いですが、ノスタルジックやコミカルな場面ならそれに合った音楽に変えますし、急いでいる場合はエレクトリックミュージック等を聞いて気分を高揚させます。いずれにしろ仕事する時にはインスピレーションを得るために音楽は欠かせません。音楽によって得たモノを自分の感情やメッセージと混ぜることで描くべき背景の世界が生まれてくるのです。
――音楽がイメージの世界への切符なのですね。
サンティアゴ ただ、背景の世界は独立している訳ではなくて、例えばこの宇宙のボードは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の世界観や、それを想像する純平たちのイメージの世界ともつながっています。だから、作品を仕上げるために自分からそういう世界に入り込んで、あちこちの世界を旅をしているのです。
――制作を終えてみて、今どんなお気持ちですか?
サンティアゴ 『ジョバンニの島』に参加できたことは本当にとても幸せなことでした。ストーリーが非常に素晴らしいので、映画をみてくれる方々がこの作品を気に入ってくれることは疑う余地がないですが、背景も気に入ってもらえると嬉しいですね。それと、もうフランスに戻ってきてしまったので、日本のスタッフのみなさんに会えなくて寂しいです。みなさんとは非常に満足のいく仕事ができました。こんなに良いチームで作品を作れる機会にまた巡りあうことができるか、心配になるくらいです。
――私も、サンティアゴさんが日本での作業を終えて帰国される時はとても寂しかったです。一緒にお仕事ができて本当に幸せでした。
サンティアゴ 制作としても吉澤さんは優秀で、一緒のチームで働けて嬉しかったです。『ジョバンニの島』に参加していた作画監督や原画マン、脚本家に監督といった人々が才能あるスターだったのは勿論だけど、制作陣も誰もが非常に優秀で作品に大きく貢献している。彼らの仕事は映像の中には直接は現れてこないけれど、彼らもまた輝いていた、いわば地上の星です。『銀河鉄道の夜』は星の世界を巡るお話ですが、その星はスタジオにもあったことを、僕は忘れません。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第2回 美術監督 林孝輔さん
ナビゲーター:設定制作・美術進行 吉澤佑実子
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色丹島――北海道の根室半島の北東に位置する小さな島。なだらかな山地と海に囲まれた島は、豊かな自然に溢れた美しい島だそうです。『ジョバンニの島』の物語はこの島から始まります。本作の主人公、純平の記憶に残るこの島の美しさ、それを私たちの目に映るようにしてくれたのが、アニメ制作における背景美術(単に美術ともいう)の仕事なのです。アニメの制作においても美術は、シナリオやキャラクターと同等に重要なポジションを占めます。物語の出来事が起こり、キャラクターたちが活躍するための空間を用意する。美術を必要としないシーンはほぼ無いと言って良いかもしれません。そんな膨大な数の美術を描き、『ジョバンニの島』の空間づくりを支えてくれたのが、美術スタジオ・インスパイアードです。今回は、美術監督である林孝輔さんと稲葉邦彦さん、背景スタッフのみなさんの「らしさ」を感じられる美術から……。
見ている私達へと迫るように画面手前へ延びる桟橋。画面の中央には恐らく漁師の家と、その背後には緑に覆われた山々。そして開けた空には雲が流れています。穏やかで色鮮やかな色丹島の一場面を切り取った背景美術。総美術監督のサンティアゴさんが作りあげた独特のスタイルはいかに美術チームへと引き継がれ、林さんらはどのようにそのスタイルと向き合ったのでしょうか。そして彼らの「らしさ」はどこに宿ったのでしょうか。
――インスパイアードさんには背景美術を担当していただきましたが、デジタルもアナログも両方描くことが出来る背景美術の会社なので大変助かりました。
林 会社としても、自分としても、映画の美術をやってみたかったところに、タイミングよく『ジョバンニの島』のお話をいただけた、という感じでした。
――本作に参加することが決まった時のお気持ちはいかがでしたか。
林 ストーリーは重厚なのに、絵がすごく実験的でアーティスティックだったので、そのギャップにまず惹かれました。是非ともやりたかったし、インスパイアードだからこそ出来るという確信もあり、意欲的に参加することできました。
――サンティアゴさんの絵のスタイルは独特ですが、初めて見た時の感想を教えていただけますか。
林 うまい!って率直に思いました。遊んでいるけど、抑えるべきポイントは抑えていて、相当勉強していることが分かりました。線も暴れているというよりも遊んでいるようで、デジタルで描いているけど人間が描いたことが実感できる暖かい絵でしたね。多分、描くことが体に染みついているんでしょうね。
――実際にサンティアゴさんの絵をご自分で描かれてみた感想はいかがでしたか?
林 特殊な輪郭ラインが存在し、さらにテクスチャを含めてデジタル処理も必要なので、他の作品に比べてかなり手間がかかったのは事実です。このレベルで1000枚描ききれるかは正直、不安でした。この絵をアニメーションの背景美術に採用しようと考えた監督とプロデューサーの頭の中をちょっと疑ってしまいました(笑)。
――最初の頃と作業が進んでからでは、監督のチェック時のコメントが変わっていきましたよね。最初の頃は、ただ漠然と「スタイルが違う」みたいな内容が多かったのを憶えています。それが段々減っていって、ディテールに対する修正コメントに変わっていきましたよね。
林 確かに最初の頃は、「なんとなく違う……」とか「サンティアゴさんに見てもらって欲しい」というコメントが多かったですね。西久保監督の中でも、まだイメージが固まっていないんだなって感じました。その分、こちらとしてもやれることの幅があるとわかったので、一発OKが出るくらい良いものを描こうと気合いも入りましたし、二転三転しながら試行錯誤して良い物が出来上がっていく楽しみを味わえました。
――単にサンティアゴさんのスタイルを真似るというよりも、それを取り入れつつ、インスパイアードさんの独自のスタイルを確立され、背景美術の作業の進め方が次第に変わっていったのが印象的でした。
林 これだけは譲らないという所はもちろんありましたけど、それ以外の細かい所はこちらに任せてもらえたので、気持ち良く作業できましたね。
――『ジョバンニの島』の舞台となった色丹島の自然や風景を描く上で気をつけたことはありますか?
林 『ジョバンニの島』のストーリーは70年近く前の史実を元にしていますし、当時の色丹島に住んでいた人たちにとってはすごく思入れもあると思います。この作品を見る人の記憶やイメージ中のでは、自然もすごく美化されているはずなので、ただ写真を真似して描くのではなくて、多少フィクションを交えてでも、とにかく美しい形や色にすることを大事にしました。
――現代と過去では背景のスタイルがまた違っていましたが、その変化についてはいかがでしたか?
林 現代パートは稲葉さんがボードを描いてくれたのですが、徹底的にフォトリアルに描かれています。過去パートは純平の記憶のイメージなので絵本のようなタッチですが、現代よりも美しいイメージとして描かないといけない。なので色などは現代パートの方が弱く、過去シーンの方が豊富になるように意識しています。
――前半の色丹島と後半の樺太でも、色味がガラリと変わっていますよね?
林 樺太の背景美術は、サンティアゴさんが殺伐としたラインに変えたいとおっしゃったので色もそれに合わせて抑え気味に変えています。
――サンティアゴさんがラインのスタイルを変えたいと口にした時は、私も「まさか!?」と驚きました(笑)。自然の持つ厳しさをラインで表現したいとおっしゃっていましたが、絵が描けない私には、最初どういうことなのかその言葉だけでは分かりませんでした。
林 厳しさを表現したラインを例えるとするなら、彫刻刀であらっぽく彫った時の感じですかね。細かく丁寧に彫るのではなく、ざっくりと削りだしていくような。サンティアゴさんのボードだと、樺太の街の電線の曲がりくねった感じや、雪山のシーンの木々の表面に荒々しい感じが出てます。おそらくペンタブを強く握りしめながら描いていたんじゃないかって想像できたので、その感じを何とか色で表現しようと工夫してみました。それにCパート全体に渡って辛く苦しい絵に見えるように作業していましたので、僕らも気持ちが殺伐としていたんですよね。しかもスケジュールも無くなってきていましたし(笑)。
――申し訳ありません!
林 今思うと、なんでこんなに荒々しく描けたのだろうって思いますね(笑)。
――サンティアゴさんから、林さんに自分の美術ボードを直して欲しいという申し出があったのを憶えています。しかも林さんが修正したものを見たサンティアゴさんが「もっと林さんの本気がみたい」と仰り、二度目の修正では林さんもかなり大胆な修正をされました。その仕上がりを見てサンティアゴさんも「ずっとずっと良くなった!」と感心していました。その時のことはいかがでしたか?
林 思い返してみると、メチャクチャな話ですよね(笑)。修正としては距離感を出して欲しいというオーダーだったので、最初の修正ではサンティアゴ風に合わせて影部分を暗くし、オレンジの色味を足すように修正をしたんです。ところが、サンティアゴさんは納得せずに「こんなものじゃない。林さんの気持ちが見たい」とおっしゃられたので、こちらも下手に相手に遠慮していても駄目なんだと思いました。そんな風に言ってもらえることなんて滅多にないですからね。なので少し時間をいただいて、失礼かもしれないと思いながらも自分なりの描き方でやってみたんです。それが逆にサンティアゴさんに喜んでもらえたので感動しました。
――サンティアゴさんは常々、光の表現は自分よりも林さんの方が上手いと仰っていました。林さんに任せた方が良いと思うところは任せてしまう、そこにクリエーター同士の信頼関係を感じました。
林 やっている時には、サンティアゴさんが怒るかもという心配も、ちょっとありました。
――でも林さんの手が加わったことで、スタイルが確立していったことを考えると、このボードは象徴的な一枚という気がします。もう一つ、林さんが特に力を入れたカットの絵がありますよね。クライマックスの日本へ向かう帰還船に乗るときの背景ですが、林さんご自身で「かっこ良く仕上げたい」と言ったのを憶えています。
林 言ったかもしれませんね(笑)。この場面はそれこそ「ザ・クライマックス」というシーンなので、逃げずに描かなければならない勝負所だなと感じてはいました。Cパートはずっと暗く辛い絵が続いていたので、単純にキレイとかカッコイイのではなく、物語の意味に寄り添う気持ちのよい絵が描きたいとは思っていました。
――初めて見た時からこの絵は好きでした。西久保監督にも「これ、OKですよね?綺麗ですね!」と念を押してしまったくらいで(笑)。
林 これを描いている時には、サンティアゴさんに合わせすぎるのも良くないなって感じていた頃でした。何も考えずに、自分だったらこう描くというものに、作品としての統一性を持たせるために、あとからサンティアゴ・テイストを加えていくというやり方をしてみました。
――林さんは光に対するこだわりが強い印象がありますが、いかがですか?
林 言われてみれば心当たりはあります。例えば、夕方を描くにしてもオレンジ一色にするのは嫌で、ピンクや紫の他の色を使ってオレンジは2%くらいしか使っていなかった憶えがあります。光自体描くというのがおかしな感じがしていたので、どうにかする工夫はずっとしていました。
――このシーンの光も帯状になっていますが、林さんの工夫なのでしょうか?
林 もともと西久保監督のレイアウトにこんな感じでという構想があったので、それに沿って描いていきました。
――林さんは相手のイメージしていることを汲み取る力もすごいですよね。サンティアゴさんと林さんとのやり取りでは私が間に入って通訳していましたが、樺太の林の雪道のシーンについて「ちょっとこの木のスタイルが違う」ということで、2人で話をしていたら、「何か分かった気がする」と突然、林さんが仰っていました。クリエーター同士で言葉ではなく通じ合っているのかなと思い、うらやましく感じた出来事だったのでよく憶えています。
林 僕もよく憶えてます。英語は全くわからないですけど、サンティアゴさんの表情やペンの動かし方で理解できた気がしました。絵を描く人間だから分かったのかもしれません。林のシーンは、最初はサンティアゴさんが描いた素材をコピー&ペーストして変形を加えてサンティアゴ風にしていました。ただ、それはサンティアゴさんにとっては不満だったようです。遠近感を考えれば、遠くにあるものは線は弱くなるし、色も鈍くなるということを意識して描いて欲しいというのが彼とやり取りして伝わってきたことでした。なので、中間領域から奥にかけての木々はゼロから描き直したんです。サンティアゴさんにとってみれば、絵がどうのというよりも、絵をちゃんと描くスタンスで臨んで欲しかったのだろうと思います。
――最後にお聞きしますが、『ジョバンニの島』の美術をやってみて楽しかったですか?
林 楽しかったですね。やれて良かったです。でも何年後かにもう一回やったら全然違うモノになる気もします(笑)。サンティアゴさん自身も一年近くずっと作業しているので、時間が経った初期のころの絵は直したかったようですね。すごく気持ちが出る絵でしたからね。
――私も、お二人のお仕事への勤勉さもさることながら、人柄もとても紳士的な方でしたので、一緒にお仕事ができて幸せでした。至らない点も多かったかと思いますが、長きにわたり、本当にどうもありがとうございました。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第3回 キャラクター設定・作画監督 伊東伸高さん
ナビゲーター:本多史典
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キャラクターはアニメーションの中でも花形的な存在です。主人公にヒロイン、敵役……。そのいずれもが、作品をみている人たちが自分を重ね、物語に入り込むための鍵にもなります。
そのためキャラクターのデザインに関わる役職は、作品の顔を任されたと言っても良いかもしれません。『ジョバンニの島』ではキャラクター原案に福島敦子さんを、その福島さんの原案をアニメーションの絵に落とし込んだのがキャラクター設定の伊東伸高さんです。
伊東さんが描いた『ジョバンニの島』のキャラクターたちは、純平や寛太といったメインの他、名前さえついていないモブキャラたちでさえ個性豊かなデザインでした。
こちらの一枚は色丹島の島民たちが並べられた設定資料です。小さな子供から大人、老人まで性別・年齢を問わずさまざまなキャラクターたちが描かれています。服装も和装の人もいれば洋服を着ている人もいたりと、見事なまでにキャラクターが描き分けられています。この設定に描かれたキャラクターたちが、それぞれのカットやシーンの中で動き出すのです。
また伊東さんにはキャラクター設定の他にも、作画監督としてもクレジットされています。作画監督とはいわば、アニメーションの品質管理者のような立場。すべてのカットやシーンを通して、『ジョバンニの島』のキャラクターを含めた絵柄の守り手でもあります。
劇場作品である『ジョバンニの島』の制作のなかで、伊東さんはどのようにこの2つの大役をこなしていったのでしょうか。そして、絵を通してそれぞれのスタッフたちとどんな交流があったのでしょうか。
――『ジョバンニの島』のお話を頂いた時には、どんな感想を持ちましたか?
伊東 終戦直後の色丹島が物語の舞台ですが、攻め込んで来たソ連側にも色丹島の人たちにも戦争は終わったのにどうなっているんだってうろたえている部分や、協同生活みたいに過ごしてのんびりした感じがあったという話を聞いて、これまでとは違う視点でその時代のことを描けるのは面白いなって思いました。あとは、重めの話をあまりやったことが無かったので、チャレンジしてみたくてこの作品に参加するのを決めました。
――伊東さんはキャラクター設定と作画監督を兼任してもらいましたが、劇場作品でこの2つを兼任するのは初めてですよね。いかがでしたか?
伊東 前にもお話を頂いたことはあったんですけど、企画がポシャってしまったり、他の仕事を優先してしまったりで、なかなかやる機会がなかったので、今回この形で参加できて嬉しかったです。
――キャラクター設定をやってみてのご感想はいかがでしたか?
伊東 キャラクター原案の福島敦子さんの絵の感じを活かすようにしようと思ったんですけど、『ジョバンニの島』のキャラクター原案は、福島さんの絵でもちょっと珍しいキャラクターがリアルめのデザインだったので、福島さんらしい絵にするにはどうしたものかと苦心しましたね。
――原案と比べても伊東さんのキャラクター設定には福島さんの絵の雰囲気が残っている気がします。
伊東 それと、プロダクションI.G作品ということもあってちょっとリアル志向を意識していたんですが、福島さんからは「あまりリアルには描かないで欲しい」という注文はありました。本編では福島さんのオーダーに添うような絵になっていると思います。
――他に苦労したことなどはありましたか?
伊東 この話自体が史実を基にしているので、服装とかも残されている資料に基づいていないといけないので大変でした。例えば兵士のコスチュームが階級や役職で違いますし、ヘルメットは被っているのか、それとも帽子なのか、何も被ってないのかとか。袖の開き閉めに至るまで細かい所まで注意しないといけなかったですから。あとから「ここ設定と違う」みたいなことも度々ありました。
――メインのキャラクター設定をしていた時の思い出や、それぞれのキャラの印象をお聞かせ頂けますでしょうか?
伊東 一番印象深いのは、みっちゃんでした。福島さんのラフを見た時に、某パンのヒーローがパッと思い浮びました(笑)。なので本編ではひたすら丸く描いています。描いていて気に入ったのは、英夫ですね。遊べるキャラだったので。
――英夫は伊東さんが登場シーンを描いたことで、他の原画さんの間でも「英夫ってこういうキャラなんだな」って掴めた感じでしたよね。
伊東 英夫がビスケットをポケットから出すシーンは楽しかったです。もう少し尺がとれたら、あり得ないくらいにビスケットを次々と出してみたかったですね。
――主人公の純平と寛太はいかがでしたか?
伊東 純平と寛太は基本的に福島さんの原案のイメージを踏襲してます。それと寛太はお尻をひっこめてお腹がぽこっとでるような、幼児体系がよくわかるポーズになるように描こうと思っていたんですよ。
――確かに本編中の寛太にはそんな印象がありますね。特に、伊東さんが描かれた原画のところではその特徴が出ている気がします。
伊東 あれは、『泥の河』に出てくる子役のイメージを重ねていますね。
――ヒロインであるターニャについてはどうですか?
伊東 ターニャは……本当は美少女にしたくなかったなぁ。
――意外ですね。
伊東 福島さんの原案に合わせて輪郭を丸くしたかったんですよ。福島さんからも「もっと丸くしませんか?」って話もあったんですけど、西久保監督がシュッとした美人を好んだので。監督の意向を福島さんに伝えたら、「やっぱり男の人って……」っておっしゃってたのは忘れられないですね(笑)。
――「(丸い子)かわいいじゃないですか」とも言ってましたね(笑)。
伊東 ただ、本編では基本的に女性キャラの輪郭は意識的に丸く描いています。
――スタッフの間でも佐和子は『二十四の瞳』の大石先生のイメージがありましたが、伊東さんとしてはいかがでしたか?
伊東 そこは特に意識してはいませんでした。ただ、辰夫は渡辺謙だとよく言われていたので、そのイメージに合うように鷲鼻にしたんですよね。
――モブキャラも、ものすごい数を描いていますよね。
伊東 今までやってきた経験から、モブキャラって作品世界と密接に関わっているから重要だなって思うようになりました。モブの顔や年代、頭身も同じになりがちだけど、全く違う輪郭や体型、年代がバラバラな感じの中に主人公をおくことで世界観が出来上がってくるので、可能な限り描かせてもらいました。
――それぞれのモブキャラもドラマを感じるほどに立っていましたね。
伊東 最初に描いたモブのデザインを西久保監督がみて「なんだ割と普通じゃん」って言われたんですよね(笑)。「そっか、もっとやっていいのか」って思って大分自由にやりました。
――描いている時には何か参考にしたものとかありましたか?
伊東 当時のロシア兵や日本の子共たちの写真資料をもらっていたので、それを参考に面白いなと思ったポイントを取り入れてますね。
――ロシア人をこれだけ描くことも他の作品では無いと思いますが、ロシア人を描く時のコツみたいなものはありますか?
伊東 堀りを深くするというのもあるんですけど、割と目を大きくするとロシア人風に見えるんですよね。
――伊東さんがご自分で描いた中で、特に気に入ったモブキャラを教えていただけますか?
伊東 寛太の同級生の男の子ですね、だいぶ遊んでみたキャラですので。
――作画監督のお仕事のお話も伺っていきたいと思います。作画監督のお仕事として、絵コンテの清書から、レイアウトチェック、原画チェックまで多岐に渡りましたが、思い入れが強かったのはどの作業でしたでしょうか?
伊東 『ジョバンニの島』の絵作りはサンティアゴさんの美術ボードが大元にあるので、それを活かすためのレイアウトを描くのが、この作品での自分の使命かなと思っていました。制作の最初の頃に作ったテストムービーで、普通のアングルの絵とちょっと特殊なパースの絵を2つ入れたんですよ。その2つの絵を比べてみて、特殊なパースの絵を監督に否定されたら終わりだなって思っていました。結果的には、特殊なパースの絵も、西久保監督に受け入れてもらえましたからね。
――西久保監督もサンティアゴさんの美術ボードには圧倒的な絵の面白さを感じとっていたようで、何とかそれを活かしたいという思いがあったみたいですね。
伊東 美術があれだけ頑張っているのに、作画が普通でどうするんだって奮起したんですけど、自分の首を絞めて大変でしたよ(笑)。他の作画スタッフもああいう絵は描き慣れていなかったので、正しいパースで描いてしまうんですよ。他の作品ならそれでOKだけど、この作品では直さないといけなくて、なかなかレイアウトが終わりませんでした。
――作画班のなかでも、順応できる人は順応していましたし、逆に慣れない人は苦労していましたよね。正解といえるものが無い絵ですからね。
伊東 そこのところに答えを示すのが、自分の役割でした。
――だからこそ西久保監督も、作画については必ず伊東さんの意見を聞く程に信頼していましたよね。ちなみに伊東さんからみて、サンティアゴさんらしさを活かせたレイアウトはどのカットになりますか?
伊東 テストショットで作った純平の家の中ですね。アレが一番最初に「こんなのどうよ」って描いた絵だったので。他にもオモニの家の外観のカットも、家の尖り具合とからしさが出せてますね。
――キャラクターに影を入れない作画もこの作品の特徴の一つですが、影無しでやってみた感じはいかがでしたか?
伊東 影は本当に悩んだんですけよね。影があったほうが得なことが多いので。
――テストの段階で、影の有る無しの両バージョンを作っていましたよね。西久保監督も最初は「影が無いと怖いなぁ」って言っていましたけど、伊東さんの「大丈夫です」の一言で「影無しでいこう」と決断されていましたね。
伊東 自分がこれまでにやってきた作品は影無しが多いんですよ。それに福島さんの原案のことも考えたら、影が無いほうが作品として合うなと思ったので。
――シーンによっては影がついているところもありますが、気を付けていたことはありましたか?
伊東 全体のスタイルとして影無しと決めたので、影がついていてもあまり細かい影は入れないようにとか、なるべく立体を感じさせる影はいれない、色数を感じさせるようには見せないようにはしてます。もっと影を減らしても良かったかもしれなかったですね。
――作画監督は原画の統括的お立場でもありますが、伊東さんが原画家さんに「このカットは!」と思わされた原画はありましたでしょうか?
伊東 いっぱいありますけど、まず中澤一登さんですかね。
――寛太が投げた紙飛行機をターニャが投げ返すシーンですね。
伊東 原画ではラフな印象があったんですけど、映像になるとすごい良い仕上がりなんですよね。あれには驚きました。
――他に思い出深い方はいらっしゃいましたか?
伊東 作中の前半で言えば、宮沢康紀さんのお仕事は良かったです。最初の純平と寛太の遊んでいるシーンで、2人の関係性や性格があのシーンで決まりました。純平は寛太の前ではちゃんとお兄ちゃんをしている。でも、他の人の前では普通の子供の態度でいるとかね。それと、水から出てくる純平の顔は止めて見て欲しいかな。
――海を横から見た時どういう風に見えるのかを、宮沢さんがフルーツ寒天で例えていたのは印象的でしたよね。
伊東 他だと、小倉陳利さんが描いたロシアと日本の子供が鬼ごっこをしているシーンは、子供たちが変な動きや顔をしていてすごく楽しそうな原画だったのでよく憶えてます。
――伊東さんのモブキャラが、一層面白味がある絵になってましたよね。
伊東 森久司さんのスケッチも目を惹いて良かったですね。最初の予告映像に使われた踊っているシーンは特に。それと山口晋さんがやった、お父さんが捕まるシーンで純平が妙に色気のある走りをしていたのも面白かったですね。
――物語後半ではいかがですか?
伊東 鈴木美千代さんはやっぱり上手かったです。雪山で純平達が倒れるシーンはぐっと来るものがありました。あとシリアスな場面だと、純平たちが辰夫と再開する場面の西尾鉄也さんですね。
――ここは泣けるという人が多いですね。指が絡み合うのがステキでした。西久保監督も「指の動きを描くのは難しい」って言っていた難所を担当して頂きましたよね。
伊東 ただ、ラッシュで西尾さんのカット見たら西尾鉄也だなってわかる絵になっていて面白かったです。あとはソ連が兵が歌っているカットも気に入っています。
――最後に『ジョバンニの島』の制作が終わってみて、振り返ってのご感想はいかがでしょうか?
伊東 『ジョバンニの島』は原画マンに恵まれた作品でした。新井浩一さんやうつのみや理さんをはじめ、憧れていたアニメーターさんと一緒に仕事をして、談笑できる日が来るとは思ってもみない機会でした。こんな機会を与えてくれた作品と制作スタッフには本当に感謝しています。
――伊東さんには多くの作業を兼任していただき、現場でも頼れる大黒柱といった感じでした。本当にありがとうございました。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第4回 車輌設定 荒川 眞嗣さん
ナビゲーター:本多 史典
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当然のことですがアニメーションでは、キャラクターも含めて小道具から大道具、空間に至るまで画面に登場するすべての物を絵で描かなければなりません。その中でも車輌をはじめとしたメカニックの設定には、工学的な精巧さも必要とされてきます。
『ジョバンニの島』の絵は、サンティアゴさんが作り出した歪みを持った線という特質があります。そのため車輌も一般的な設定のように整った線のままでは、作品の方向性からは浮いてしまいかねない恐れがありました。作中に登場する車輌をサンティアゴさん風の絵に合うようにデザインしなおす作業を担ったのが、荒川眞嗣さんなのです。
ソ連軍が使う車から軍艦、そして純平と寛太がいつも心に描いていた銀河鉄道まで、荒川さんの描いた車輌設定は、どこか懐かしさが漂っているようでした。
こちらはそうした設定資料の中から、樺太で英夫が運転するダットサンセダンの設定画です。輪郭の線には細かい揺らぎがあり、ところによっては線が途切れていたりはみ出していたりもします。影の付け方も斜線を入れたり鉛筆で黒く塗られていたりと、古い車輌によく似合う絵柄で描かれています。
これまでにも西久保監督とは現場が一緒になることが多かった荒川さんにとって、はじめての役職となった車輌設定をどのようにこなしたのでしょうか。そして物語に描かれた当時の車輌は、荒川さんにはどのように映ったのでしょうか。
――荒川さんには、西久保監督と色彩設定の遊佐さんから、サンティアゴさんのぐにょぐにょした感じの線には合っている、という推薦があってご参加をお願いさせて頂きました。
荒川 だいたいI.Gの仕事はそういうありがたい話が多くて、西久保監督との仕事はいつも面白いので、今回も喜んでお受けしました。
――『機動警察パトレイバー2 the Movie』の没になった荒川さんの描いたやかんの作画が良い味を出していたのを、西久保監督が憶えていたそうです。
荒川 そうだったのですか。あんまり憶えてないですけど、嬉しいですね。
――西久保監督とは何度もI.Gの作品でご一緒していますよね。荒川さんから見た西久保監督はどんな感じでしょうか?
荒川 西久保監督は作品毎に色んなことにチャレンジして、新しいビジュアルを毎回考えるわけですよ。だから一緒に仕事をやると、「今度はこういうことをやろうとしているのか」という刺激を受けて、スタッフとしては楽しみがあります。
――思い出に残っている新しいビジュアル表現の作品をあげるとすればどれになりますか?
荒川 どれもですけど、『宮本武蔵-双剣に馳せる夢-』でのコントラストで絵を付けるアイディアは面白かったです。あの当時、撮影処理でなんとかしようという流れが出来ていたけど、コントラストですから、撮影処理じゃうまくいかないんですよ。コンテの段階で、黒と白のバランスを考えて作らないとうまくいかないんですよね。僕も白黒でコントラストを作るのは興味があったんで、楽しかったですね。
――これまでの荒川さんのお仕事からすると、『ジョバンニの島』での車輌デザインは珍しいケースだと思いますが、やってみていかがでしたか?
荒川 僕もビックリしました。まさか軍艦描くとは思わなかったですよ(笑)。メカとか上手な人のレベルでは流石に描けないので、僕が好きな小松崎茂とか岩田専太郎といった挿絵画家の感じを取り入れて、昭和の戦記物の挿絵みたいなタッチで描いてみました。ジープとか車も含めて質感とかも全部タッチで描くという、普通だったら通らないことが出来たのは良かったですね。
――逆に苦労したことはありましたか?
荒川 実際にあった物の設定ですから、インチキにならないようにするのが大変でした。デタラメには描けないので、資料を一生懸命見ながら、なるべく本物感が出るようにしないといけなかったので。
――最初の頃は荒川さんも結構悩んでいましたよね。写真通りに描けば良いかというと全然違って、どの線を描く・描かないを選択して、デザインし直してもらっていましたから。
荒川 コントラストをどうつけるかとか、どこに黒を入れて、どこにタッチを入れたら良いのか、どこまでタッチでやれるのかとか考えるのは、苦労というより面白い作業をさせてもらいましたね。
――『ジョバンニの島』の車輌設定は古い船や車ばかりでしたが、描いてみていかがでしたか?
荒川 元々メカにはあまり興味が無いですけど、古いメカニックには何故か分からない楽しさがありますね!多分、昔のデザイナーがとことん作り込んで、作った物それ自体が作品だった気がするんですよ。
――作った人の顔が想像できる製品だから良かったのかもしれませんね。
荒川 本当にそう思います。戦艦とか戦車を見てもそう思います。
――荒川さんがメカニックを描いてみて気に入っているシーンはありますか?
荒川 斜古丹湾にロシアの軍艦が来るシーンはやって面白かったです。ある日軍艦がやって来て、いきなり空砲を撃ってくる怖いシーンじゃないですか。ぞっとする高圧的な感じをどう描くかが、このシーンのテーマでした。質感がどうのこうのよりも、なにより印象を大事に、メカニックデザインではあるけど挿絵的な表現で高圧的な怖さを出してみました。
――確かにインパクトありますよね。
荒川 ただね……砲台がすぐ煙で見えなくなっちゃって(笑)。
――一瞬でしたね(笑)。
荒川 えらい短いカットでしたが、それなりに狙った感じは出せた気がします。
――船の他にも車や銀河鉄道もやっていますが、それぞれで気をつけた点を教えていただけますか?
荒川 車は道具として出てくるわけですから、キャラクターデザインと背景画の中間の気分で描いていましたね。銀河鉄道はまた違う発想で、人が描いた味のある絵にしようという感じで描き分けました。
――荒川さんが起こした車をCGを使って表現していますけど、CGになって動いているのを見た時にはどんなことを思いましたか?
荒川 描き絵みたいだったから、これはお客さんにはどこが手描きでどこがCGなのか分からないだろうと思いました。CG班のみなさんは本当にすごいですね、お見事!
――起こされた設定の中には、消防の大八車なんて珍しいものもありましたよね。大八車のような歴史を感じるもの設定してみていかがでしたか?
荒川 これもゼロから自分で起こしているわけじゃなくて、資料に基づいてますからね。ただ、あまり整合性に囚われないで、設定の再現じゃなくてそれらしい雰囲気が出るようにしています。
――今ではなかなか見慣れないものですから、雰囲気を掴むだけでも大変だったと思います。
荒川 僕も消防大八車は初めてみましたよ。現在も骨董品としてあちこちに残っているらしいですね。
――資料を探している最中では、実物はあっても取材させてもらえない場合も多かったですよね。
荒川 車とかはそうでしたね。ダットサンセダンとか大きさが今の車と違って小さいから、その感覚を掴むためにも本当は見たかったんだけどね。
――ソ連関係の車は軍事考証をして頂いた金子さんが、ジープとトラックのプラモデルを作ってくれましたが、どうでしたか?
荒川 あれは大変役に立ちました。プラモデルでは作れない細かいところは写真を参考にしていましたけど、よく出来た模型でしたよ。ただ耐久性が無くて、どんどん壊れていって……。
――ぐるぐる回しながら、「こう見えるのか」って確認していましたからね(笑)。
――荒川さんには設定の他にもレイアウトも担当して頂きましたが、レイアウトではどんなことに気を配っていましたか?
荒川 例えば樺太で純平と寛太が汽車を見かけるシーンでは、パースをきちんとして理屈的に描いているけど、キャラクターは後ろまで全部描き込まずにシルエットにしてタッチを入れています。そうすると自分の中では落ち着きが良いんですよ。
――ここまで大胆に出来るのは荒川さんぐらいだと思います。
荒川 アニメーションはどこかで、マンガであって欲しいんですよね。
――レイアウトも含めて、『ジョバンニの島』はサンティアゴさんの絵を大元にしていますが、サンティアゴさんの絵を初めて見た時の印象はいかがでしたか?
荒川 最初に見たのは、雪景色の樺太の街並でした。アレは寒さが伝わって来て良かったですね。アートに走り過ぎてもいなかったし、絵本のような感じもあって良い絵でしたね。
――サンティアゴさんのテイストで描くと聞いた時にはどんなことを思いましたか?
荒川 是非、完成を見たいと思いました。ただ映像では、西久保監督も実写的な部分を入れてバランスをとっていますよね。
――荒川さんから見て、サンティアゴさんのテイストがよく合いそうなシーンですと、どこが思い浮かびますか?
荒川 『ジョバンニ』の名シーンは全部ですね。例えば、純平とターニャがたき火を囲むシーンとか。サンティアゴさんの絵柄なら、感情を画面に入れることができますからね。
――車輌のラインもサンティアゴ風に合わせた感じになっていますが、なにか狙いみたいなものがあったのですか?
荒川 僕はフリーハンドで描くのが好きなんですよ。サンティアゴさんの絵に合わせるというのも勿論あるんですけど、そもそもガタガタとしていたり、途切れ途切れのフリーハンドで描いた線の良さが好きですね。
――普通でしたらメカとか描く時は定規を使ったりしますよね。
荒川 今は定規ですけど、僕がこの業界に入った頃は、レイアウトを描くにしてもロボットを描くにしても、定規を使ったら負けだと教えられていたんです。それは絵描きとして恥ずかしいという雰囲気があったのですけど、ふと気がついたら、フリーハンドで描くと怒られるじゃないですか(笑)。少し前のアニメの原画集を見ても、ロボットとかもフリーハンドで描いた頃のほうがカッコいいと思いますよ。僕は亜細亜堂の出身なので、師匠たちもみんなこういう絵を描いていて、左右非対称で、デッサンも狂っているようなところも表現の一つとしてその良さを受け入れたいという思いはあります。
――それでは今回は思う存分できましたね。
荒川 僕はリアルな絵を描いていると、不幸な気持ちになってくるのです。『ジョバンニの島』は描いていて楽しい気分になれましたね。僕がマンガ好きだというのが一番大きい理由かもしれない。口を開ければ、実際の骨格を無視した大きさになりますし、速さを出すために線をシュッと入れる、そういう表現主義的に誇張してどう伝えるのかを考えるのが楽しいんです。
――荒川さんの机にはマンガがいっぱい置いてありましたね。
荒川 景気付けに、望月三起也先生と上村一夫先生のマンガを置いていました。それと長尾みのるさんと岩田専太郎さんの本を机の横に置いて研究していました。元々大好きだったのもありますが、岩田さんの質感もなにもかも線で決めるところとか、長尾さんがフリーハンドで描くジープとかバイクの線がちょっと震えているけど嘘っぽくないところとか参考になったので。
――『ジョバンニの島』が終わってみてのご感想を聞かせてください。
荒川 本当によく付き合ってもらいましたよ。遅刻はするし、体調は壊すし、夢中になって描くからスケジュールどおりに終わらない。けれども制作のみなさんは、よく耐えて付き合ってくれました。
――荒川さんには、最初は他の仕事を抱えながら『ジョバンニの島』に入ってもらっていたので大変だったと思います。
荒川 僕は器用な優等生タイプじゃないので、制作さんたちが付き合って支えてくれるからこうして仕事をさせて頂けました。本当に感謝という言葉以外ないですね。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第5回 CG監督 オレンジ・井野元英二さん&CGチーフ 池谷茉衣子さん
ナビゲーター:向坂信治
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技術の進歩によって私達の暮らしの中の様々な部分が変わってきました。勿論、アニメーションの世界でもその変化は起きています。その最たる例がCG(コンピューターグラフィック)の登場です。
アニメーション制作の現場においても、CGの存在感は増してきました。特に正確性が必要とされる場面ではCGの力が必要とされます。
『ジョバンニの島』の劇中にも自然物から船、人物など色々なところにCGが使われています。中でも車について、CG監督である井野元英二さんにはある思い入れがありました。
制作の段階で作られたソ連軍の使うトラックが描かれた2つの絵です。一つは手描きで描かれたもの。もう一つはCGで描かれています。『ジョバンニの島』の絵柄は「サンティアゴ・ライン」と呼ばれる独特のスタイルをもっています。そのスタイルや世界観に合わせてCGの使い方を模索している中で描かれた2枚の絵です。
この2枚の絵が『ジョバンニの島』でのCGの可能性を開いたと言っても良いかもしれません。そこには井野元さんが抱いていた思いも関わっています。20年近くにわたってアニメーションの世界でCGに携わり続けてきた井野元さんと、彼が率いるスタジオ、有限会社オレンジのみなさんが目指すCG表現。『ジョバンニの島』の中でそれらはどのように作られていったのでしょうか。
――オレンジさんが以前にI.Gの府中スタジオの2Fにいらっしゃいったので、『ジョバンニの島』に参加して頂いたのもその時からの縁ですよね。
井野元 その節はお世話になりました。私としてもI,Gさんの作品にメインスタッフとして参加するのは10年ぶりだったので、お話を頂けた時は嬉しかったです。10年前は『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』に参加していたのですが、同時期に西久保監督も演出として参加していた『イノセンス』も制作していて、『イノセンス』からもお声が掛からないかなぁとちょっと期待していたんですけど、残念ながら掛かりませんでした(笑)。『ジョバンニの島』の監督が西久保さんということもあって、10年越しに一緒にお仕事ができる絶好の機会に恵まれたので、参加を決めたんです。
――『攻殻SAC』といえば、『ジョバンニの島』の脚本を書いてる櫻井さんともご一緒でしたよね。当時から櫻井さんとは顔見知りだったのですか?
井野元 直接お会いしたことはなかったんですが、櫻井さんはタチコマの回の脚本をよく書いてらして、私がタチコマの動きを担当していたので、お名前はよくお見かけしていました。
――制作開始当初は、監督もこの作品でCGをどのように使うか決めかねていたみたいですが、井野元さんはどのようにイメージされていましたか?
井野元 乗り物系はCGになる予感はありました。ただ最初の打ち合わせでも、車を作画にするかCGにするか西久保監督も相当悩まれていましたよね。西久保監督は車はCGを使わずに手描きにするのを好んでいるという噂を耳にしていたので、車もCGにすることが決まった時はCGの魅力を分かっていただけたみたいで嬉しかったですね。
――ソ連のトラックが走る場面では、全く同じカットを、作画とCGの2バージョンで制作してテストしました。その結果を見て、西久保監督もCGを使うことに前向きになったようですが、何か監督の心を動かした切っ掛けはあったのでしょうか?
井野元 『ジョバンニの島』の過去パートは思い出の世界観なので、意図的にラインを歪める演出をしていますよね。その演出に合わせて「崩した」CGになるようにしてくれ、という注文が来て驚きました(笑)。私も20年くらいCGをやっていきましたが今回のような絵作りをするのは初めてで、そのために技術的に煮詰まるまでには時間を要しました。それでも、ここにいる池谷をはじめオレンジの社員が試行錯誤を重ねてくれて、徐々に線の崩し方や影の付け方のコツを掴んでいき、監督にも「これならイケるな」と思って頂けるレベルにまで到達できたのかなと思います。
――池谷さんのお名前がでましたが、試行錯誤していた時にはどんな苦労がありましたか?
池谷 タッチの部分が難しかったですね。車体の影の部分には斜線タッチが入るのですが、それをそのまま止め絵にして車を動かすと、斜線が浮いてしまって悩みどころでした。以前に別作品で斜線を色鉛筆みたいに表現することをやっていたのを思い出して、それを参考に斜線をコマ毎に動かし、手で描いた感じの絵にしたら斜線タッチが馴染むようになりました。
井野元 その手法に加えて、モデリングのチームが直接モデルに斜線を入れている手法とのハイブリッドでやっています。オレンジとしてはCGだけという考えではなく、手描きの柔らかく温かい表現を組み合わせて、総合的に完成度の高い絵作りを目指しています。CG屋も絵描きですので、描くという行為から離れてしまわないことを大事にしているつもりです。
――「崩す」絵作りの方向性を決めたサンティアゴさんの美術ボードをご覧になった時の印象はいかがでしたか?
井野元 どうやってパースを合わせようかな、ということばかり考えていました(笑)。普段ならレイアウトのパースに合わせてオブジェクトを配置していくのですが、例えば家の中で鉄道模型を遊ぶシーンではCGで作成した線路がうまく置けず、無理矢理変形して配置する工夫が必要でした。
――具体的にどんな工夫をしてパースを合わせたのですか?
井野元 レイアウトの奥と手前では画角が違い、カメラのレンズでいうと手前が13ミリで奥が望遠という感じで、その上奥は部分的に傾いていたりしました。なので画面全体の見た目を重視してオブジェクトをつくり、そのオブジェクトをひっぱったり曲げたりする変形を加えています。
――感性だけで歪んだ空間に正確な3Dオブジェクトを歪ませながら置いていく、ということですか?
井野元 そうです。多少なりともサンティアゴさんのような絵心が無いと難しい作業で、トライ&エラーを繰り返しながら答えに近づけていくしかなかったですね。
――実際に手を動かしていた池谷さんにとっては、線に慣れていく過程はいかがでしたか?
池谷 私がやったカットですと、CパートのD51(デゴイチ)が終点で停車する直前のカットも、レイアウトの段階からパースのズレが強かったので、そのままレイアウトに合わせてもD51のパースがおかしなことになってしまって……。結局は空間に変形をかけて、その空間にD51が入りながら変形していくという手法をとりました。
――モデル自体を変形させるという手法は今までにありましたか?
池谷 『ジョバンニの島』で初めてやりました。
井野元 他のアニメではごく稀にトリッキーな演出をしているカットでモデリングに変形をかけたりすることもあります。ただ、『ジョバンニの島』に関してはほぼ全カットで変形をかけていますよ(笑)。
――乗り物以外にも色々な部分にCGが使われていますよね。花が風に揺れるシーンが印象的です。
池谷 このカットは美術が先にあがって来たので、美術に合わせてサンティアゴさんのテイストが損なわれないようにモデリングしていました。花びらは一枚ずつ、雌しべや茎、葉っぱも総て別々のパーツに分けてモデリングしています。平面だと左右や前後の単純な動きしかできませんが、花自体を3Dにしたので奥行きも加わった動きが可能になりました。
――冒頭の現代パートもCGが多用されています。特にc1の地図などはとてもCGが活きているカットだと思います。西久保監督としては、国境線や国ごとに色分けされている地図では政治的な意味が含まれてしまうので、地勢図にしたかったそうです。
池谷 最初は日本の部分ばかり映っていたので、アジアも映るようにして欲しいという要望がありました。修正指示も西久保監督にオレンジまでいらして頂いて、直接お話しながら直していきました。
――修正の前後ではカメラワークが大きく変わっていますよね。
池谷 平面を垂直に動いているように見えるのでパース感が欲しいと監督はこだわっておられました。
――オレンジさんでは、CGでも2コマ打ちや3コマ打ちというコマ数を落として動きをつけるやり方をしていたので驚きました。
井野元 私としては随分前からコマを落とす動きの付け方をやっていたんです。『ジョバンニの島』では、モブなどのキャラクターも動かしていますが、キャラは3コマ、動きの厳しい所は2コマをベースにしています。乗り物系は2コマと1コマをベースに作っています。ただ乗り物とキャラクターが組み合わさっている時は、どちらがそのカットで主体になるかでベースのコマ数を決めています。
――コマ数を落とすのは井野元さん独自の手法なのですか?
井野元 昔はコマ打ちに気を配ることがほとんど無かったのですが、最近はコマ打ちが動きの生命線になるとわかってきたので、どこの会社も気を遣うようになっているようです。
――キャラは3コマ、乗り物は2コマが良いというのは何故でしょうか?
井野元 全部1コマだとCGをアニメに合わせた時に動きが滑らか過ぎて嫌な感じがするんですよ。コマ数を落とすと情報量が減るのでアニメにも馴染むようになります。なのでキャラクターは作画の従来のコマ数に合わせています。乗り物系は比較的正確な箱のような形が測ったように動く場合が多いです。ただ、正確な形が正確に動くと滑らか過ぎて、逆に気持ち悪い感じがするのですね。乗り物も作画で動かすと、正確じゃないがゆえに柔らかい動きをする。作画では良いけど、CGだとダメだと感じる大きな理由はそこにある気がします。なので2コマにしてあげるとそれが解消するのです。
――他にオレンジさんの担当をしていて感激したのが、静止画の素材をお願いしても、色々なエフェクトを施した映像ファイルを渡してくれるんですよ。普通でしたら、静止画をお願いすると画像ファイルだけを渡してくることがほとんどですからね。
井野元 10年前にI.Gさんで『攻殻SAC』を作っていた頃は、私も画像素材だけをお渡ししていました。その後別の会社と仕事をしていた時に、CG側で撮影工程も担当する作業工程だったので、撮影さんが必要とする形で素材までお渡しするのに慣れてしまい、『ジョバンニの島』でも同じように素材をお渡ししています。
――データは重かったですが、みなさん感謝していました。撮影さんでもオレンジさんから送って頂いた素材にかけられているエフェクト等をそのまま使っていることも多かったです。
井野元 乗り物系は日常生活でよく目にしている物なので、例えば車のサスペンションの揺れ具合などを感じられるようにとか、動きを丁寧に付けないと粗が目立って違和感が出てしまいます。『ジョバン二の島』では池谷をはじめ乗り物に慣れているスタッフを投入していますので、違和感の無い自然な印象を与える出来になっていると思います。
――確かに映像を見て、ジープをCGで制作していると気付かない人もいると思います。それくらい自然な仕上がりですよね。
井野元 ただ、ジープなどのオープンタイプの車が多かったので、キャラクターが乗った時に違和感が出ない工夫も必要でした。
――具体的にはどんなことをされたのですか?
井野元 乗り物にキャラクターを乗せる場合、作画でキャラの止め絵を描いてもらってそれを乗り物のモデルと合わせて動かすやり方をよくします。ただ車が奥に向かって遠のくと、線が細くなり形がよくわからなくなることがあるので、『ジョバンニの島』では遠のくにつれてキャラの輪郭線だけを太らせていく処理をしています。なので小さくなっているキャラを拡大すると、輪郭線がめちゃくちゃ太いんですよね(笑)。この処理は『ジョバンニの島』で初めてやった処理ですね。ただ、なかなか演出に言って理解されないんですが(笑)。
――確かにCGでは線の太さで印象が変わることが多々ありますよね。
井野元 線の太さはCG屋が神経質になるポイントの一つです。今回は劇場作品なので、他の作品ではやっていないような新しい方法にもチャレンジしています。
――池谷さんは乗り物のカットを多く担当されましたが、井野元さんからは何かコツのようなことを教わったのでしょうか?
池谷 車の動き方は上下の動きに左右の回転が加わるので、上下の動きを調整しながら、その動きとはズラしたタイミングで回転を加えるやり方を教わりました。
井野元 車の回転は少し遅れて発生するものなんです。コマ数で言うと2コマ程です。そうすることで柔らかい動きになるんですね。他に車の動きで各スタッフに伝えたことは、加重が4輪のどれもに自由自在にかかるということですね。その説明をするのに、お米や砂が入った箱を思い描いてもらって、箱の中身がどう動くかを想像してもらっています。急停止すれば箱の中身は前のほうに溜まりますし、カーブするように動かせば中身は曲がった方と反対側へに寄るとか、具体的なイメージを持ってもらうようにしています。
――辰夫が捕まってジープがバックする時の動きは西久保監督も「すばらしい!」と感激してましたね。車が止まる時、人が乗る時、その重みが感じられる動き方には、そういう秘訣があったんですね。
井野元 ここはCGで動きを付けても、作画でもきちんと合うように描いてもらえるか不安がありました。が、見事にこちらの意図を汲んだ動きになっていたので感動しました。やはり劇場作品なのでレベルが高いアニメーターさんが参加していて、こちらの思いを察して貰えるのは嬉しいですね。
――最後に、『ジョバンニの島』に参加してみてのご感想をおきかせ頂けますか?
井野元 才能のある監督と組ませて頂ける機会はこれまでに何度かありましたが、そういうタイプの人ほどCGを大胆に使う人が多かった気がします。西久保監督も同じで、CG屋からみたら危険な使い方でも、恐れることなくチャレンジングなCGの使い方をされます。アニメという枠に納まらずに、実写も含めた映像そのものを作っているという感覚なんだろうと思いました。
――井野元さんから見て「ここでCGを使うのは危険だ」と思った部分はどこですか?
井野元 最後のダンスのシーンは作画で見たいと思うようなシーンだったので、CGでというお話を頂きましたが危惧したシーンですね。西久保監督としてはフルCGでやりたい様子でしたが、CGでガイドを作り作画で仕上げるのが一番ベストな気がしていました。
――このシーンは、実際にモーションキャプチャーで動きをとって、カメラワークをはじめレイアウトもオレンジさんにお願いしましたが、いかがですか?
井野元 カット割から含めてCGに任せて頂いたのは、オレンジとしても嬉しかったですね。恐らく作画で描くならこうするだろうなという予想は私なりにありましたが、その通りにしたらCG班に任せてもらった意味がありません。西久保監督なら実写でどう撮るかを想像したカット割をしてみました。何となくですが、実写的な感覚も含めた絵作りを監督は狙っていた気がしたので。
――実は企画段階では応答と最後の現代パートを実写にしたいという案もあったそうなんです。そういう部分まで読み取って頂けて改めて驚きました。
井野元 そうだったんですね。それは初めて聞きました(笑)。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第6回 小物設定 海島千本さん
ナビゲーター:設定制作・美術進行 吉澤佑実子
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アニメーションの映像の中には、物語を支える様々な「脇役」がいます。例えばモブと呼ばれる主要以外のキャラクターであったり、プロップと呼ばれる小物たちです。小物とは舞台でいうところの小道具に当たりますが、アニメーション制作においては手に持つ道具に限らず、家具や調度品、その他に装飾品や動物まで小物に含まれることがあります。
終戦直後の時代を舞台とした『ジョバンニの島』では、歴史的なアイテムが小物として登場します。こうしたアイテムは、映像を見る人たちにその場面がより「らしく」見えるようにしてくれます。確かな時代考証のために集められた様々な資料を基に、『ジョバンニの島』の「らしさ」を支えてくれたのが小物(プロップ)設定の海島千本さんです。
海島さんの描く小物は、資料に基づいた確かさを備えているだけでなく、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にまつわる幻想的なアイテムさえも、素敵なイメージとして私達に提示してくれました。それが今回の1枚です。
「銀河鉄道の夜」の中で、白鳥座区のおわりに車掌が切符を確認する場面に登場する緑色と鼠色の切符です。『ジョバンニの島』の中では、純平が見た「銀河鉄道の夜」の夢に登場します。両方の切符共に、星をイメージした銀河鉄道に相応しいデザインが施されています。
こうした見事な設定を起こして頂いた海島さんですが、実は小物設定を務めたのは『ジョバンニの島』が初めてだったそうです。海島さんにとってはチャレンジとなった『ジョバンニの島』で、一体どのような経験をなさったのでしょうか。
――海島さんは『ジョバンニの島』で初めて小物(プロップ)設定を担当されましたよね。大変な役回りだったと思いますが、いかがでしたか?
海島 最初は少し緊張していましたが、西久保監督の指示も的確でしたし、写真資料なども豊富で次第に落ち着いてできるようになりました。
監督が「だめだったらちゃんと言うから好きに描いてみて」とおっしゃってくれたので、現場ではのびのびと仕事をさせてもらえました。
――海島さんには小物だけでなくて、メカに銃器、それと動物も描いてもらったりと、多岐にわたって設定を起こしてもらいましたよね。
海島 銃器はあまり描く機会が自分は無かったのですが、参考写真の他にモデルガンを用意していただいたので個人的に大変勉強になりました。動物は写真を調べてるだけでも楽しかったです。かわいいです。恥ずかしながら揚陸艇というものをよく知らなかったのと、当時のソ連の資料がなかなか見つからなかったので、設定制作の方には苦労をかけたと思います。小物設定と聞いていたので、まさか船を描く事になるとは思いませんでした。
――物語が1945年頃で軍事関係も多く登場しますから、日頃目にしない物も多かったと思います。
海島 そうですね。ただ制作の方々が本当に頼りがいがあって、資料を豊富に用意して頂いたり、実際に船を取材させて下さったので助かりました。
――資料と言えば、北海道へ取材にも行かれてますよね。どんなところを見て回られたのですか?
海島 色々な所を回ったのですが、郷土資料館は、色々と古い物が多くて参考になりました。
――実物を見て来たことがどんな風に役立ちましたか?
海島 時代感と、写真では判り辛い細かいところを確認できたので助かりました。実物は劣化していますが、色味が想像できるので、そこも大きかったかなと。資料館の雰囲気もなんともいえず静かで、機会があったらまた行きたいです。
――海島さんの起こされた設定は色つきで珍しく、現場でも好評だったんですよ。
海島 設定類に色をつけるのは半ば趣味のようなもので……。彩色自体が好きなんです。色分け等が明確になるのと、自分の中でイメージがクリアになるのでガシガシ塗ってしまいました。
――自分で手掛けた小物の中で、気に入ったものはありますか?
海島 料理関係は気に入ってます。食べ物は見ていて幸せな気分になれますよね。いももちは自分で作って食べてみました。あれはつまみ食いしちゃいます。銀河鉄道の表紙も気に入っています。
――実際にロシア料理を食べに行きましたよね。
海島 ピロシキとボルシチはなんともいえぬ味わいでした。ロシア料理は一度も食べたことがなかったので、新鮮でした。お肉のピロシキが好きです。
――他に心に残ったものはありましたか?
海島 樺太へ行く時の荷物の中身は数も多かったし、粟や稗はもうあまり描く機会はなさそうだな……と思いました。2Dワークス(ポスター類)も何点か作業したのですが、面白かったですね。
――海島さんには設定の他にも銀河鉄道のシーンの原画を担当して頂きましたが、やってみていかがでしたか?
海島 最初は銀河鉄道のシーンの絵コンテを頼まれて、そのまま監督が「原画から撮影までやってみなよ」と……。今考えると監督はとんでもないなぁ……と。だって普通、撮影未経験者に撮影まで作業させないですよね?原画といっても、通常の「原画」でなく映像用の「素材」を作る感じの作業でした。
――『ジョバンニの島』に参加されていた作画さんは、紙とペンで描くのを基本とする人がほとんどでしたが、その中で海島さんはデジタルを使いこなせる人なので西久保監督も期待していたんだと思います。
海島 ビジュアルエフェクトの方が一緒のスタジオに入っていらしたので、アフターエフェクトを一から学びつつの作業でした。でも正直、使いこなせているとは言い難いです。調整レイヤーも知らないレベルだったので……。今でもデジタルが得意とは思っていません。ビジュアルエフェクトの方には本当に色々教わりました。タイムシート打ちからはじめて、本当に初歩の初歩からのスタートでした。
――わりとやさしいスパルタだったということですか(笑)。西久保監督は海島さんのイマジネーションから出てくるものに楽しみにしている様子でした。
海島 えぇ?そうですかね?監督は「最悪えらいことになってもビジュアルエフェクトの方がどうにかするから!」とおっしゃってましたよ!(笑)。個人的には、光あふれる銀河鉄道にしたいなと思って作業しました。異質なものになりすぎるのではという不安が最初はありましたが、撮影の方やビジュアルエフェクトの方が上手くフォローしてくださったので助かりました。
――銀河鉄道つながりになりますが、ご自分で描いた銀河鉄道のチケットは力が入っていましたね。
海島 テクスチャや処理を考えるのが好きなので、描いていて楽しかったです。
――切符のデザインには脚本の櫻井さんの助言がありましたよね。
海島 監督からは具体的な指示はありませんでしたが、作品の方向性とイメージがズレないように櫻井さんに相談したんです。それではくちょう座など銀河鉄道にまつわる星座を入れてみるというアイディアを頂いたので、それを膨らませていきました。
――切符のデザインで、ご自分で気に入ったという部分はありますか?
海島 緑色の色合いがうまく出せたので気に入ってます。「銀河鉄道の夜」の中でも切符の色が緑色という記述がありますし、黒い唐草のような模様のことも書かれているので、そこは外さずにデザインしてみました。
――緑色の切符とおなじく鼠色の切符もデザインしてもらっていますよね。
海島 緑色の切符は天上までいける特別な物なので豪華に美しく、鼠色の切符は質素にして違いをつけています。
――鼠色の切符はどんなアイディアでデザインしたのでしょうか?
海島 上の穴のような部分は緑色の切符と同じモチーフで共通性を持たせてます。下には「銀河鉄道の夜」でも出てくる南十字をあしらってみました。その間を結ぶように星々を巡って辿り着くという感じです。ただ片道切符なので、行って戻れないということから穴が一つなんです。緑色の切符は往復なので穴が二つになっています。
――切符に記載されている文字自体も海島さん自ら考えてデザインして頂いてますよね。
海島 やっぱり何かしら書いてあるほうが切符らしいので。でも日本語を書くのはどうかなぁ……と思ったので、考えてしまえ、と。
――この文字は何を参考に考案したんですか?
海島 ひらがなをベースに、母音と子音を組み合わせて1つの字になるようになってます。子音の形も、よく見るとひらがなに似ているとおもいます。数字も考えてみたんですが、可愛くできたのでこちらも気に入ってます。
――振りかえってみて、海島さんにとて『ジョバンニの島』はどんな作品でしたか?
海島 がむしゃらにやっていた作品でしたね。初めてのことだらけだったので、どの作業もチャレンジばかりで、良い経験をさせてもらいました。
――私も初めての作品だったので、海島さんとご一緒できたのは嬉しかったです。いつでも絵を描いていらして、本当に描くことが好きな人間味あふれる方だったので楽しい現場でした。
海島 『ジョバンニの島』は制作さんが有能な人ばかりでした。みなさん本当にしっかりしていて、特に吉澤さんには助けてもらいっぱなしでした。ありがとうございます。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第7回 美術設定 岩熊茜さん
ナビゲーター:設定制作・美術進行 吉澤佑実子
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美術設定という役割は、アニメーションをよく見ている人でもあまり馴染みが無いかも知れません。その仕事は、美術さんが背景を描くために、作品に登場する街の風景や建物の外観、さらには建物の中の間取りや家具のデザインまでを線画で用意することです。建築の設計のような仕事に近いとも言えます。ただアニメーション制作の現場では、人工物だけでなく崖や山といった自然物まで美術設定が起こされることもあるそうです。
『ジョバンニの島』の作中では色丹島の風景の中に、ロシアの人々が暮らしはじめる姿が描かれています。純平の家はターニャ一家が住むようになり、小学校は日本の子供とロシアの子供が半々に使っています。日本式の家屋がロシア風に変わる、実際に終戦直後の北方領土の各地で起きていたことだったそうです。そうした2つの文化様式が合わさった空間が今回の1枚。
元々は純平たちが暮らすいろりの間でした。床には絨毯が敷かれ、壁一面に貼られた壁紙、襖の取手もドアノブに取り変えられています。窓にもカーテンが取り付けられ、ベッドや洋風の家具も置かれ、ターニャの雰囲気に彩られた空間になっています。ここがいろりの間だったと言われても、にわかに信じがたいかもしれません。
こちらの設定も含めて、『ジョバンニの島』の美術設定を起こして頂いたのが岩熊茜さんです。岩熊さんにとっても『ジョバンニの島』は初めてのことばかりだったそうです。
ロシアと日本の2つの文化様式にわたる『ジョバンニの島』の美術設定、そして初めての劇場作品の現場での作業の裏には、どのようなエピソードがあったのでしょうか?
――岩熊さんが劇場作の美術設定を務めるのは『ジョバンニの島』が初めてだそうですね。
岩熊 はい。それと北海道へロケハンにも行きましたが、ロケハンに行くのも初めてでした。
――美術設定としては、どんなところに注目して北海道を回ってきたのですか?
岩熊 主人公の家が鰊御殿をモデルにするということで、漁師の家ならではの造りだとか屋内に置いてある漁具の種類・形、寒い地方ならではの家の造り(玄関が二重になっているところとか)を見てきました。
家具も現代とは違うので、かまどや囲炉裏、特に台所まわりの生活用品は時代色が出るので沢山写真に収めてきました。
あと特徴的だったのは自然の植生でしょうか。得能さんが色丹島と似ていると仰っていた摩周湖の周辺や美幌峠の辺は、熊笹が辺一面に広がっていて、独特の地形の丘陵地帯は実際に足を運ばないとまず見れない風景でした。
――劇場作の美術設定は初めてということでしたが、いかがでしたか?
岩熊 劇場、しかもオリジナル作品という事で、どのへんまで設定が必要になるのか分かりませんでした。漫画原作がある作品だと漫画の絵を元に描き起こせますが、『ジョバンニの島』の舞台は実在する場所ですし色丹島の資料は限られています。ロケハン資料とコンテを照らし合わせて必要になる部分を描き起こす作業になりますが、これも初めての経験でした。
――他の作品とは勝手が違ったところもあったと思いますが、どんなことが気になりましたか?
岩熊 TVシリーズでは、原作の雰囲気からレイアウトや絵コンテで見せたい部分の予想がつきますけど、『ジョバンニの島』はオリジナル作品で独特の絵作りだったので、起こした設定がどう反映されるかが未知数でした。「設定は普通に描いて頂いて大丈夫です」とは言われていたんですが、今回自分で背景を描いてないこともあって、完成した映像を見るまではどんな画面になるのかドキドキでした。
――美術設定は何度も修正があったので、最後まで清書はしなかったですよね。西久保さんも「ラフで十分キレイだから良いんじゃない?」と仰っていましたし。
岩熊 最初は、間取りや全体の大きさだけのラフで提出していて、OKをもらったら清書する予定だったんですけど、コンテで割と変更があったので清書しないことになり、それからは細かな説明も付け加えるようにしましたが、清書していない分ちゃんと伝わるのかは最後まで心配でした。
――小学校の設定は何度も描き直して頂きましたよね。恐らく、一番修正が多かったのが小学校だったと思います。
岩熊 教室のストーブの位置を調整したり、煙突を追加したりしていました。
――小学校の外観と内観では参考にしている資料が違っていたので、後になって外観と内観がズレて整合性が取れなくなったので修正をお願いしたのは大変だったと思います。
岩熊 教室の中も、ロシアの子供が使うようになってからの共産党の赤旗とか追加したり、ロシア語の標語も加えました。
――「勉強、勉強」ってロシア語ですね。他にも、世界地図など追加の張り込みが多かったのと、細かい確認が多かったのも教室でしたね。
岩熊 逆に、小物を色々と配置してみても実際の画面には映らなかった場所もありました。
――あまり映らなかった部分ですと、例えばどこになりますか?
岩熊 オモニの家ですかね。農具を色々と配置したり、天井の高さもこだわってみたんですけど、映像では短かかったので。
――ベッドルームしか映ってませんよね。子供が追い出されるシーンがあったので、部屋を分けたらリビングが映らなくなってしまって……。
岩熊 他の作品でも細かく設定を作り込んでも、1カットも出てこないこともよくありますから。
――純平の家の厩(うまや)も随分描き込んで設定を起こしてもらいましたが、あまり映っていない部分ですよね。
岩熊 あそこもそんなに見えなかったですね。取材して、網とか農具とか色々と描き込んだ憶えがあります。
――そこの2カ所は「もっとゴチャっとさせてください」という修正が監督から出ましたよね。
――他にも岩熊さんには色々と確認を投げたり、資料を作ってもらったりと、最後までフォローして頂きました。よくあったのが美術側で色を付ける段階になってから、「この引き戸は木戸なのか、襖なのかどっちだっけ?」みたいなことに一つ一つ補足してもらいましたよね。
岩熊 純平たちのいろりの間の障子戸とかですね。どの部分が板戸で、磨りガラスで、障子なのかっていう細かい部位まで説明を足しました。
――それとサンティアゴさんのための設定も岩熊さんに描いていただきましたよね。メールの文面だけではサンティアゴさんに伝わりきらなくて、岩熊さんの作ってくれた資料のおかげで随分助かりました!
岩熊 普段ならほとんどのスタッフが国内にいますが、サンティアゴさんはフランスにいらしたので、日本人の私たちなら当たり前に知っていることも、ちゃんと伝わるのかは当初から心配だったんですよ。
――いろりを拡大した設定もおこしていただきました。美術でアップになるシーンがあるわけでもないのに、サンティアゴさん用にもう一回描き直すというのは手間だったと思います。
岩熊 畳の大きさとか、障子の組まれ方や各パーツの大きさとか、集会所の戸板の造りの段差がどうなっているかの説明とか、普段はやらないですよね。
――いろりの他にも、純平の家以外は細かく決まっていなかったので、木の距離感や建物の位置関係から、純平の家と湾を挟んだ反対側の設定など、斜古丹湾周辺の原図整理もお願いしました。
岩熊 鉄塔とか火の見櫓もありましたし、サンティアゴさんには不思議なアイテムばかりだったんじゃないでしょうか?
――『ジョバンニの島』の設定はロシアと日本の2つの文化にまたがっていましたが、日本家屋の造りなのに中はロシア風というターニャの部屋は、『ジョバンニの島』という作品を象徴しているような設定だなと思いますがいかがでしたか?
岩熊 この部屋は最初から「後でロシア風の内装に変わります」とは聞いていましたが、ここまでがらりと変わるとは思わなかったです。最初は「どういうことなんだろう?」と考え込んでしまいましたけど、制作の合間に実家に帰っていた時に長崎のオランダ商館に出かけたんです。そこは外観が木造の日本家屋なのに中は洋風で、「これだ!」ってピンっときました。畳の上に絨毯が敷かれて西洋風の家具も置いてあり、イメージ通りの部屋でした。天井がすごく高かったのは外国人仕様だな、とは思いましたけど。
――西洋の部屋にはどんなイメージを持っていましたか?
岩熊 天井が高いというのが先ず思い浮かびます。以前に中世ヨーロッパのお屋敷を舞台にした作品をやったことがあって、屋内シーンではとにかく天井を高く、ドアも大きくするという事を心がけていました。あとは基本的に石造りであるとか、壁の厚さが違うとか。
――『ジョバンニの島』ではいかがでしたか?
岩熊 建物自体は日本の建築物が多かったです。ターニャのおとうさんが大きかったので、食事のシーンで登場する時とかにちょっと屈んで出て来るのが、日本の建物との対比が伝わります。それと、純平たちの家は、家具やシャンデリアなどを置いて壁紙を貼った事で、ロシア風の雰囲気に変わりました。
――西久保監督が「ターニャの部屋はとりあえず可愛くしたい」と仰ってましたが、女の子の部屋にはどんなイメージがありますか?
岩熊 女の子の部屋ってピンクとかの色が鍵になってきますよね。色はこちらの管轄外だったので、可愛くしてくれるんだろうなって期待を込めて、美術さんにお任せしました。
――実際、仕上がりもピンクでした!
岩熊 ターニャの部屋もそうですけど、レースをやたら使っていますよね。ターニャの部屋以外にも、例えば靴箱の上とかいろんなところにレースが使われて、「ロシア人はこういうのが好きなのか」って思いながら布を色々な所に置いていったのは憶えています。
――確かに、資料でもレースや布をいろんな物にかけているのをよく目にしました。他に資料をご覧になっていて、ロシア文化について気になったことはありましたか?
岩熊 あっちの人はお茶が好きですよね。サモワール(ロシアなどで使われているお湯を沸かす容器)の資料を眺めながら「いいなぁ」って思ってました。
――年代もちょうど作中と同じ頃のソビエトのキッチン用品とかバス用品が載っているカタログを探して来て、その中から西久保監督とあれやこれやと選んでいました。
岩熊 以前にロシアの絵本か何かで見た憶えがあって、資料を貰った時に「ロシアといえばこれだよ!」って思いました。
――樺太へ取材に行った時も、どの家にもサモワールとペチカ(ロシアの暖炉兼オーブン)は必ずあると言われました。ただ、純平たちの家は日本の家屋なので、ペチカの代わりに薪ストーブが使われています。
――制作を振り返ってみて、いかがでしたか?
岩熊 設定のための資料をこんなに用意してもらえて、至れり尽くせりでした。他作品では基本的に小物類は自分で調べているので、全部用意して貰えたのは本当に助かりました。おかげで、毎週スケジュール通りに仕事を進められて。有能なコンシェルジュさんがいるって思いましたよ(笑)。劇場作品ってこんなに待遇が良いんだって勘違いしそうです。
――岩熊さんはコンスタントに作業を進めて頂けてこちらも助かりました。細かい指定が無いままお任せすることも多くて大変だったと思いますし、西久保監督からのリクエストで美設の範疇を超えた作業をお願いしても引き受けて頂いて、本当にありがとうございました。
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「ジョバンニの島」の舞台裏
第8回 脚本・プロデューサー 櫻井圭記さん
ナビゲーター:本多 史典
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脚本が無ければアニメーションの制作も始まりません。誰が、何時、何処で、何をするのか。どんな事件が起きてどんな結末を迎えるのか。脚本はそうした筋を描き、物語の設計図のような役割を果たしているからです。
その脚本を原作者の杉田成道さんと共に担当したのが櫻井圭記さんです。『ジョバンニの島』の脚本では可能な限り史実に基づくことを大切にしたと櫻井さんは言います。
この作品は、終戦直後に北方四島の一つ色丹島で起きた出来事、それを経験した人々の記憶から生まれています。当時の出来事を体験した色丹島の出身者のお一人、得能宏さんは主人公・純平のモデルとなった人物であり、私達にあの時の出来事を語って聞かせてくれました。
得能さんの話を何度も聞き、一つの物語へと紡いだ櫻井圭記さんが忘れられないシーンとして選んだ1枚がこちらです。
ソ連兵から純平をかばうために身を挺する佐和子。ソ連兵の頭ごしに俯瞰するカメラは怯える純平と勇気を振り絞る佐和子を捉えています。ソ連将校は表情が映されていないことで不気味さが宿り、佐和子のこわばった表情から伝わる緊張と相まって、次の展開が見えない息のつまるシーンになっています。
当時の色丹島でどんなことが起こっていたのか、そして人々がどのように暮らしていたのか、それらを熟知したうえで櫻井さんは何故にこのシーンを選んだのでしょうか。そして『ジョバンニの島』を通してロシア人と日本人のどんな姿をみたのでしょうか。
――『ジョバンニの島』は1945年頃の色丹島で起きた出来事を基にしていますが、純平のモデルである得能さんのお話を聞いたご感想はいかがでしょうか?
櫻井 『ジョバンニの島』のストーリーは、ほぼ得能さんの実体験と言っても良いかと思います。得能さんは当時のことを本当によく憶えていて下さり、大変に助かりました。逆に憶えていないことは憶えていないとはっきり言いますし、大変だったことを過剰に盛り込むこともない。情報として正確だし、ニュートラルな視点で話してくれるんですよ。それが一番ありがたかったです。
――取材を通してどんなことが印象的だったでしょうか?
櫻井 僕が色々と取材を重ねるなかで一番面白かったのは、ソ連兵も色丹島の住人も、お互いによく状況が分かってないけれど、それでも一緒に生活していたことですね。戦争も終わっていて、ソ連兵側もなんで駐在させられているかちゃんと分かっていないし、島民たちもソ連兵たちがいつまでいるのかも分かっていない。お互いの出方がよくわからなくて、どういう状況なのか曖昧なままで二年半も一緒に暮らしていたというのが、なにより興味深かった。
――戦争体験の物語というと、当時の人たちの悲惨な体験談が多いですが、攻めて来たソ連兵側も戸惑っていたのは新しい視点ですよね。
櫻井 ソ連側だって命令で色丹島まで来ているわけで、「いつかは帰れるだろうか」って思っている可能性もあるわけです。それに、ソ連軍が家や物を接収したのは事実だけれど、一方的にひどい事をしていたというわけでもなくて、ある女性が薪を割っていた時に、通りかかったソ連兵が「その作業を自分がやるから、その代わり俺のシャツを洗ってくれ」などと言ってきて、お互いの作業を交換しあったなんて微笑ましい話もあったそうです。
――戦争直後の様子としては、玉音放送のシーンも他とは違うイメージですよね。
櫻井 西久保監督もこだわられていました。島民たちが「日本が負けた……」と暗い雰囲気になるんじゃなくて、「え、なんなの?」みたいにちょっとのんびりとした感じを持たせています。
――ここも得能さんのお話からでしたね。
櫻井 得能さんに玉音放送の時のことを聞いた時も「どんな気持ちもないよ。なんて言っているか分からないし」と仰っていて、ノイズが混じっていたり難しい言葉だったりで、理解できた人も多くはなかったらしいです。
――取材したことを作品に反映させる時にどんなことに気をつけましたか?
櫻井 調べられるところは徹底的に調べて、可能な限り嘘にはならないようにしました。樺太でお父さんに会いに行くという部分は得能さんの体験と違っている嘘の部分ですが、他に得能さんの体験と異なる部分は、択捉や他の島で実際にあった事例を合わせているので、北方領土全体の話と考えれば大きな嘘というわけでもないんですよ。
――設定制作をはじめ、調べものは本当に細かくやっていましたからね。
櫻井 純平と寛太が樺太で初めて見る列車が、D51(デゴイチ)なんですけど、ロシアに接収されてからは塗装しなおされているんです。D51は正面に番号のプレートが着いているので、列車マニアの人たちは、何番の車輛がどこにあるのかを知っているんです。そういう人たちに突っ込まれないように調べたんですけど、どうしても樺太にあった車輛の番号が分からなかったので、意図的に存在しない番号にしました。
――分かっている人たちにもガッカリさせないような、フィクションならではの嘘のつき方ですね。
櫻井 嘘をついた部分でいえば、クワクボリョウタさんの作品を参考にした、家の中で鉄道模型を走らせるシーンをやりたかったので、ターニャ一家は母屋で純平たちは馬小屋で同居していることにしたんです。
――得能さんのお話では同居はしていませんでしたよね。
櫻井 そうなんです。ただ、択捉島では、接収された家でロシア人と日本人が同居していた例があったので同居にしました。あのシーンは家の中に勝手に引かれた国境がある状態で、島の状況を象徴していると思っています。鉄道模型が国境を超えて行き、純平たち側に来る時は日本の調度品が映って、ターニャ側に行く時にはロシアの調度品が映る。作品全体のテーマを凝縮しているシーンになると思ったので、是非やりたかった。
――純平・寛太とターニャをはじめ、色丹とロシアの子供たちが仲良くなる切っ掛けとも言えますよね。銀河鉄道の世界へと移っていくのも強く印象に残りますし。
櫻井 純平たちの家もよくよく考えれば、馬小屋と母屋が連続しているアクロバティックな造りなんですよ。普通に考えると、母屋があって納屋があって馬がいる造りはまず無いはずなんです。
――得能さんの話でも、馬はいたけど離れたところで飼っていたということでしたよね。
櫻井 馬と一緒に住んでいるアイディアは面白かったので、当時の厩の資料を調べ出して、馬と同居しているのがどのくらいの嘘か、それともあり得るのかを調べたんですね。そのなかで設定制作の吉澤が、『うまや』という馬と一緒に納屋で育つ子供の話の古い日本映画を見つけて来てくれて、これがあるからOKということにしたんです。
――他にも、小学校の設定も映像のことを考えて、事実とは変えていますよね。
櫻井 これも択捉島で日本とソ連の子供達が一緒に小学校を使っていた事例から持ってきています。色丹島の小学校はずっと日本人が使い続けて、ロシア人は近くの民家を接収して学校として使っていたそうです。ただそれだと、純平とターニャが居る別々の場所をカメラが追わないといけないので、ストーリーにならなくなる。だから、同じ空間に子供たちを集められるように舞台配置を変えました。
――脚本を書いていて、特に苦労した所はどこだったでしょうか?
櫻井 日本へ向かう船に乗るために並んでいる所へ英夫が登場する場面で、英夫の足の傷を純平と佐和子のどっちに尋ねさせるか、それにどのタイミングで尋ねさせるのかが難しかった。
――劇中では、純平が英夫に一言いってから、佐和子が足の怪我を尋ねていますよね。
櫻井 そのあと英夫がおどけて寛太に振ると、死んだことが分かるという流れなんだけど、ちょっとパズルを組み間違えると、死んだ寛太を差し置いて英夫の足のことを気にする変な場面になるんですよ。
――脚本が完成した後も、このシーンには西久保監督と少し手を加えていましたよね。
櫻井 最終的にはなんとか自然な形に納まったんじゃないかなと思います。
――脚本を書いている段階で構想してはいたけど、残念ながら入れられなかったエピソードはありますか?
櫻井 いくつかありますけど、純平とターニャが花畑へ行くシーンは馬に乗っていくことを考えていたんです。当時は、馬がいっぱい放し飼いにされていて、子供達は勝手にそれに乗って遊んでいたという話を生かしたかったので。それに、王子さまとお姫さまっぽくて良い感じの絵になるかなって考えていたんです。ただ、純平が馬に乗ることのデメリットが出てしまうのでやめたんです。お父さんが捕まる時に純平が洞窟へ急いでいるのに馬を使わないのは何でだ、ということになってしまうので。移動手段が手近にあることがデメリットになってしまうので、馬はお父さん専用ということにして、花畑には徒歩でいくことにしました。
――他にも、樺太についてからは割と検討していたエピソードを落としてますよね。
櫻井 得能さんが実体験したことでドキュメンタリーとしてもエピソードとしても面白い要素は沢山あったんです。例えば、お金を日本円からルーブルに切り替える話とか、収容所の小学校のトイレの板をはがして煮炊き用の薪に使った話とかも考えていたんですけど、全体の尺が伸びてテンポが悪くなるし、気分の暗くなるシーンを延々見せることになるので、バッサリと落としました。もしこの作品がTVシリーズだったら入れることもできたエピソードかも知れないです。
――櫻井さんご自身としては、ソ連兵が教室に入って来て佐和子先生が毅然と応じるシーンが気に入っているそうですが、どんな点に惹かれたのでしょうか?
櫻井 生きているうちにあんな体験をするというのが、そもそもあり得ないことですよね。得能さんご本人は純平と違って銃を突きつけられてはいませんけど、本当に殺されかねない場面じゃないですか。それにも関わらず女の先生が落ち着いて勇敢に立ち居振る舞うなんて、それこそ物語のようですよね。しかもモデルとなった当の本人たちはまだご存命で、そのことを聞くことが出来た。それ自体がもう奇跡みたいなものです。
――得能さんのお話でも、その先生のおかげで小学校も接収されなかったと仰ってましたね。
櫻井 その先生と校長先生がソ連兵たちと身ぶり手振りで小学校だけは渡さないようにと懸命に掛け合ったみたいです。こういうドキュメンタリーとしての面白さを描いているのも、この作品の特徴の一つだと思います。
――他にも得能さんの体験から作品に盛り込んだエピソードとして、思い出深いものはありますか?
櫻井 終盤の現代パートで純平たちの卒業式をやっていますが、あれも実際に色丹島で得能さんたちが卒業式を開いたそうなんです。子供の時はソ連に集会を行うことが禁じられていたので、お祭りとか学校行事もできなかったらしく、色丹島への自由訪問が行われるようになってから自分たちで卒業式を行ったそうです。
――劇中の卒業証書の文言もその時の賞状に書かれた言葉をそのまま使っていますよね。
櫻井 その時に作った卒業証書の実物を得能さんに見せて頂いて、「56年かけて色丹国民学校を卒業したことを証する」という言葉をそのまま劇中で使っています。証書を受け取った人数も劇中と同じ5人だったそうで、証書を授与する役も女の先生にお願いしたそうです。式には訪問団の他にも現地のロシアの人も参加してくれたらしくて、会場になったレストランのオーナーさんの提案で、ロシア式の卒業式も同時に行ったという話も聞きました。
――色丹島に現在住んでいるロシアの人たちとの関係も良好なんですね。
櫻井 色丹島では日本人とロシア人との深い交流の輪が広がっているそうです。色丹島のロシア側の受け入れ体制が良いこともあるんでしょうけど、幼い頃の体験からロシアの人たちにも心を開いてお互いに思い合っている得能さんのような人がいるから、こうした関係を築くことが可能だったんでしょうね。
――『ジョバンニの島』を振り返ってみて、櫻井さんにとってはどんな作品でしたか?
櫻井 得能さんからお聞きしたり、調べに行って分かった一つ一つのエピソードが本当に特異で、体験した人たちが亡くなってしまえば失われてしまうことばかりだったんです。それをこうして映画にして多くの人たちに伝えられるのはまたと無い機会だったし、貴重な体験をして生き残って僕らに語ってくれた得能さんにはどれだけ感謝しても足りないくらいです。
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