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PRODUCTION NOTE

あの時、あの船に乗っていた医師の
驚くべき話

2020年3月、プロデューサーの増本淳は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、製作中だったNetflixドラマ・シリーズ「THE DAYS」の撮影を休止した。再開するためにはどんな感染対策が必要かを相談した専門医が、ダイヤモンド・プリンセス号で発生した集団感染時に乗船した医師の一人だった。その時に医師が実際に目の当たりにしたことについて話を聞いた増本プロデューサーは、「当時の報道とは全く違う話だったので驚きました」と振り返る。

撮影はそのまま半年以上の延期が決まり、増本プロデューサーは空いた時間を活用して、クルーズ船での日本初の新型コロナ集団感染に関わった人たちに、その記憶が鮮明なうちに話を聞こうと考えた。この時点では、具体的に何か作品を企画していたわけではなかったが、「実際に何があったのかを知りたいというところから始めました。後にフィクションとして形にするとしても、取材に立脚して作るのが、自分のスタイルです」と語る。

半年にわたる取材で見えた。
船内の出来事は世界の縮図

半年以上にわたって増本プロデューサーは、DMAT、厚労省、自衛隊、消防署、警察、そしてクルーズ船の乗員と乗客らに話を聞いた。コロナ禍ゆえ、リモートでの取材となったが、そのぶん全国に広がる関係者への取材が可能で、最終的に取材メモは300ページを超える厚さとなった。

「映画にしようと考えたのは、この船での出来事にコロナ禍の問題の多くが内包されていると感じたからです」と増本プロデューサー。「新型コロナウイルスの本質は未知なるものへの恐怖です。危険だから怖い、のではなく、危険かどうかすらわからないから怖い、という類のもの。そうした恐怖は、差別へとつながっていきます」。一方で、献身的な人たちが自ら危険を買って出ることによって、乗り越えることができた災害でもある。「あの時、地球全体、人類全員に起こったことが、世界に少しだけ先んじて、船の中という縮小された世界で起きていたのだと感じました。この船の中で起こっていた出来事は、きっと世界各地で起こっていた出来事と同じで、皆が自分のことだと思って見てくれると思いました」。

今この問題への扉を開ける意義がある。
託された関根監督

2023年3月、監督は関根光才に託された。映画、CM、ミュージックビデオ、アートインスタレーション作品など、多岐に渡るジャンルの映像作品を国内外で監督・制作し、海外での受賞も多く、「美しい映像と、その映像を通した社会への問題提起を両立させる、極めて思慮深い演出家である関根監督にお願いしたいと思いました」と増本淳プロデューサー。

関根監督は当時のことを、「もともと社会的なイシューに関わるような作品が好きなので、プロジェクト自体が非常に興味深いと思いました。脚本を読んで、自分自身もあの時、アクセスできる情報だけを信じて、うのみにしていたことに気づきました。そんな自分に対する反省も含めて、この問題への扉を開けることは意義があると感じました」と振り返る。さらに、「コロナ禍に対しては、本来ならば歴史の教科書に載せて、どういうことだったのかを人類として話し合った方がいいくらいのことだと思っています。でも、生活や仕事が忙しく、すぐに忘れてしまって次に進もうとなってしまう。思い出したくないというベクトルの方が強いというのもあるのかもしれませんが、話し合うための材料というか、テーブルがあった方がいいという意味でも、よい機会だと思いました」と説明する。

これは人類共通のテーマ。
妥協をしない脚本づくり

増本淳プロデューサーが製作・企画・脚本を手掛けたNetflixドラマ・シリーズ「THE DAYS」を見ていた関根光才監督は、「すごいことにチャレンジした人がいると、尊敬の念を抱いていました」と語る。「その上で、今回の増本さんの脚本を読ませていただいて、とてつもないリサーチ力に感嘆しました。さらに、事実を積み重ねてフィクションにまとめ上げていくパワーにインパクトを受けました。それが最初の脚本に対する印象で、素晴らしいと思いました」。

そこから、妥協を許さない二人の綿密な改稿が始まる。関根監督が最初に出したのは、「全編にあふれている増本さんの怒りの要素を切りましょう」という提案だった。関根監督は、「想いというのは大事ですし、義憤からことが起きることは当然あります。でも、本作のテーマは人類共有の問題なので、ワンサイドでは語りたくないと思いました。解釈を観客に提示するのではなく、ニュートラルにすることによって、開かれた映画になる。その方が、メインストリームの作品になるはずだと考えました」とコメントする。増本プロデューサーは、「誰かの主張を見せる映画になるのはよくない。観る人に自分で考える余白を、もっと残したいと言われて納得しました」と回想する。

主張・脚色は最小限に。
エンターテイメント性とのバランスを
追求

増本淳プロデューサーと関根光才監督の二人が合意した“作り手の主張は最小限に”という方針に加えて、事実を不当にねじ曲げないことに細心の注意をはらいつつ、複数の人物の要素を一人に集約するなどの方法を一部取り入れながら、“脚色も最小限に”抑えた。その上で、エンドロールまで興味を失わせずに見せきるために、“エンターテイメント性も確保する”という3点に注力しながら二人で10回以上の改訂を重ねた。

脚本が完成してからも細かな修正は続き、撮影当日にようやく台詞が固まったシーンがある。クルーズ船からDMATの真田が自宅に帰って来て、はじめて妻と言葉を交わす場面だ。増本プロデューサーは、こう述懐する。「船に送り出した家族が、どういう気持ちで待っていたか、説明したくなりました。でも、喋れば喋るほど嘘っぽくなる。やっと今の台詞が書けたのは、真田が家から出発していくシーンの撮影を見た後です。俳優二人の演技があまりにも自然で、結局、台詞は最小限でいいんだと気付かせてくれました」。

結城役は、小栗旬一択。
大きく動き出したプロジェクト

結城役は小栗旬一択だった。増本淳プロデューサーは、こう説明する。「役柄の年齢で最も信頼できる役者に演じてもらいたいということでお願いしました。これまでの小栗さんのイメージだと、船の中で人を救い続ける仙道役を頼むと思います。でも、小栗さんが19歳の時から、節目節目で一緒に仕事をさせてもらってきた僕としては、新しい彼を観客に見てもらいたいと思いました。それで、小栗さんに今回は、チャレンジングな役をやってほしいと話しました。結城は隊員に、死ぬかもしれない場所に行くように命じるという重い使命を背負った人間です。ほとんどのシーンが座って話しているだけですが、主人公としての存在感はほしいし、彼が結局はこの難局を乗り切る一番のキーパーソンだということを観る人たちに示してほしい。芝居の幅がないと、怖くてできない役柄です。小栗さんは、『なるほど、やりがいがありますね』と力強い返事をくれ、その言葉でプロジェクトが大きく動き出したことを感じました」。

関根光才監督と小栗旬は、2021年に投票率を上げる活動「VOICE PROJECT」で出会っている。「その時に、小栗さんの器の大きさと強靭さを感じました。今回の物語を乗せる船として、小栗旬以外は考えられませんでした」と関根監督。

松坂桃李・窪塚洋介・池松壮亮。
存在感あるキャスティング

立松役を演じる役者は、存在感や力量で結城と対峙しなければならない。どちらがイニシアチブをとるのか、観客をドキドキさせる人物だ。「最近の作品をリサーチしたら、松坂桃李さんの存在感が圧倒的に際立っていました」と増本淳プロデューサー。「立松は最も振れ幅の大きいキャラクターです。登場時は常に質問に対して答えを持っていたのが、結城を始めとするDMATたちや船内に残された少年たちと関わることで、何が本当の答えかがわからなくなっていく。そんな不安定さも見せてほしかった。松坂さんには若者の持つ危うさがあると同時に、揺るぎない芯も感じられる。その二面性を立松に投影してもらえたらと思いました」。

仙道は一番個性的なキャラクターだ。キャスティングに悩む製作陣に、小栗旬から窪塚洋介がぴったりだと思うという提案があった。難しい役どころのため、本人の意志を尊重したところ、「コロナ禍の時に前線で戦った人へのリスペクトを非常に感じたので、お引き受けしたい」と快諾された。「窪塚さんの醸し出すある種のミステリアスさが、仙道の人間性に奥行きをもたらしたと思います」と関根光才監督。

真田は常識的な考え方をする人物で、多くの人々が自分を投影しやすいキャラクターだ。実はそういう役柄は、芝居の力量がないとぼんやりしてしまうので、演じる側からは最も難しい。「市井の人を、存在感を持って演じてくれるこの年代のキャストとなると、必ず名前が挙がるのが池松壮亮さんです」と増本プロデューサー。「テーマに共感してくださったのと、同世代の実力派と称される俳優たちと芝居を交わすことに興味を持ってくれたのだと思います」。

自分の役はどうあるべきか。
俳優たちのすさまじい熱量

「撮影中、どのシーンを撮っていても、小栗さんという船に乗っているという感覚がありました」と関根光才監督は回想する。実際は、小栗旬のシーンは電話やオンラインでの会話が多いため、バラバラに撮影している。「だからこそ、スタッフとキャストの彼に対する信頼感から成り立っている作品だと感じました」。小栗扮する結城と対面での芝居が多いのが、立松を演じる松坂だ。「的確な芝居をポンポンと投げて来て、松坂さんという役者の凄まじさを目の当たりにしました」と関根監督。

仙道が結城とオンラインで会話中に、激高して机を叩きつけるシーンは、「どこかに仙道が強い感情に振れるシーンがあった方がいい」という窪塚からの提案だった。現場のトップという役職であっても、人間性を発露させる姿に、親近感や人間性を感じられるようになっていく。関根監督は「全体を俯瞰で見て、自分の役がどうあるべきかというデザイン設計をしてくれるのはありがたかったです」と称賛する。

リアリティをもたらす、
現場から生まれた心動かす演技

関根光才監督が撮影中に思わず泣いたのが、池松演じる真田が発症したアメリカ人と廊下で話すシーン。廊下が狭くカメラは横顔しか捉えられないし、池松は防護マスクもつけているので、設定上の拙い英語の台詞と、目だけで演技をしている。「そんな状況でこちらの感情を揺さぶるなんて、本当にすごい俳優です」。また、藤田医科大学岡崎医療センターでのシーンで、誰もが真田を好きにならずにいられない場面がある。渡された缶コーヒーを一気飲みするのだが、池松が現場で生み出した演技だという。

物語に明るさと若い世代の視点をもたらすために、羽鳥役を任された森七菜は自身と地続きの役を演じてくれたと関根監督は指摘する。「非常に素直でフラット、一方で困難に突っ込んでいく覚悟は人一倍持っている。英語の練習もあり、マスクをしたままの演技が多い中、役柄とシンクロした森さんの純粋なリアクションを撮ることができて、それが作品にリアリティをもたらしてくれました」。

観客を船内へ。
日本映画史上初のカメラを駆使した撮影

撮影にはALEXA65が使われた。高い表現力からハリウッド映画では標準になりつつあるカメラだが、日本で劇場用長編映画の撮影に使われるのは、本作が史上初となる。特徴としては、センサーサイズが大きく、より人間の目に近く、非常に広い視野となるため、没入感と臨場感がより一層高まる。観客はまるで、自分も船内にいて、登場人物たちの傍らで話を聞いているような感覚を味わえる。関根光才監督と撮影の重森豊太郎のたっての願いで取り入れられた。

さらに関根監督が特に胸を張るのは、クルーズ船内の対策本部を再現した美術と装飾チームの仕事だ。「現場にDMAT隊員の方が来られた時に、『本物にしか見えない』と太鼓判を押してもらえたのはうれしかったです」。

カメラワークに関しては、関根監督と重森は脚本の段階で割りを決めて、さらに現場で全部変える前提でシュミレーションするという。そこまで厳密に計算されたカメラワークについて、増本淳プロデューサーがこう解説する。「映画全体を3つに分けるとすれば、1幕目は長回しで、極力演出の痕跡を出さない撮り方をしています。カメラは人間の目線の高さで、神の目線を入れない形で船の中を動いていきます。2幕目は登場人物の感情を伝えるアップが多く、3幕目はアクションを見せています」。

かけがえのない日常に感謝し、
来たる危機に備えるために

映画の完成を迎えて、関根光才監督はこう語る。「いつの間にか、世界のほころびは大きくなってしまいました。いつまた、このような危機が起きるかわかりませんし、その時には自分で判断して行動しなければならない時代になったと感じています。けれどその裏側で、いまも必死に世界を修復しようと頑張っている人々のことを考えれば、この物語から感じとれる何かがあると思います。この映画が公開されたら、様々な意見や議論が飛び交うかもしれませんし、そうあるべきだと思っています。けれど、私たちが立場の違う誰かをただ誹謗するのではなく、話し合ってお互いを理解しようと思える、そんなきっかけをこの映画が作れたらと願っています」。

増本淳プロデューサーは、こう締めくくる。「この映画を観れば、人と会って一緒に何かをしたり、喜び合ったり、今普通だと思っているこの日常が、それだけですごく幸せというか、とても貴重な時間だということを思い出してもらえるのではないでしょうか。それぞれが自分たちの暮らしに戻った時に、今の日常に感謝し、あの時頑張った、乗り越えた自分たちにも、最前線にいた名も無き人々に対しても、感謝の気持ちを感じてもらえる映画になったのではないかと思います」。