作品情報 校長先生 ご挨拶集

Gretting 校長先生 ご挨拶集

響たちが通う南高の羽柴昌一校長を演じた森本レオさんが、ご自身で考えられたご挨拶文です。

えー、春の暖かい日差しが降り注ぎます、今日の佳き日に、来賓各位、及び、保護者のみなさまのご来席を賜り、関係者一同、喜びに耐えません。
ご多忙の中、御臨席を賜りました、皆様には、心より、御礼を申し上げます。
そして、新入生の皆さんには、ぜひ、高校生の本分と言う事について、考えて、頂きたいと、思います。
私の学生時代は、本と言えば心、心と言えば本、と言う具合で、飯は食わねど 本を買え、と言う時代でした。

私たちの先輩の中にはですね。
本を買いすぎて、でもお米を買うお金がないので、泣きながら、辞書を破って、破って、結局全部、食べちゃっていた人もおりました。
バカですねえ。でも。

そうやって、自分の知らない言葉を、必死に探し続けました。
言葉、一つ一つがね。
新しい、世界地図だったんです。

でも今はねえ、もう、インターネットだラインだインスタグラムだのと、とりあえず、まず自分を発信する、世界に、なっておりますが。
もちろん、お互いに切磋琢磨するのは、とても素敵な事です。

しかし、ともすればそれは、往々にして、狭い世界地図に、自分を閉じこめて、しまいかねません。
もったいない事ですね。

学ぶ、と言う事。
learn、と言います言葉の大元は。
「足跡を辿る」、と言う意味なのですね。
父や兄の足跡を辿って、獲物を捜し。
母の足跡を辿って、水や花を探す。
そして、新しい道を見つけた時、みんなで手を取り合って、踊ります。
それが、ラーン。学ぶという、遊びなんです。
遊びなんですよ、勉強なんて。自分の世界地図を作る。ね。

だいたい、スクール、と言います言葉も、本来、スコラとか、スカラと言いましてね。
ヒマとかヒマ潰し、と言う意味だったんですよ。
はい、スコラ哲学、なんていかめしい学問もございますが、あれも本当は、「親父の無駄話」、の意味で、しょうね。
だいたい、想像力に、フタをするような知識や学問でしたら、無い方が、ましですもんね。

遠い昔。
原始人と言われた人たちが、ある日、気がついたんです。
もう、暗い、穴蔵の中は、イヤだ。
明るい、穴蔵が、欲しい。
そして彼らは、自分たちの原っぱを一生懸命、太い樹々で囲いました。
頑張って頑張って。
ようやく、天に延びる、明るい穴蔵を、手に入れたんです。
それから、みんなでゆっくり、野っ原に寝転がって、流れて行く、空の雲を眺めました。
彼らは、ようやく。
獣たちに、おびえないで、思いっきり、おしゃべりやじゃれ合いっこを、愉しむ時間を、手に入れました。
それが、「スコラ」、なんです。
ダイヤモンドですよ。
蛇にも獣にも、おびえなくていい。
人々は、その場所を。
囲われた原っぱ=パラ・ディソ、と呼びました。
そして、その高い壁に護られた、ダイアモンドな時間の中で、人は夢を見る、と言う遊びを、手に入れたんです。

人間という物語は、この、夢を見る、スコラな時間から、始まったのかも、知れませんね。

色んな事を考えたんでしょうね。
お腹いっぱい食べると、なぜ、ニコニコ、しちゃうんだろう。
お母さんが笑ってくれると、なぜうれしくなって、しがみつきたくなるんだろう。
みんなと一緒だと、ドングリや野鼠を採りに行くのも、ワクワクしちゃうのはなぜなんだろう。
森の奥に、花を見つけると、どんなに遠くても、見に行きたくなってしまうのは、なぜ、なんだろう。
山の向こうには、何が、あるんだろう。
雲は、どこから来て、どこへ、行くんだろう。
好きな女の子が。
こっちを向いてくれると、どうして、ドキドキ、ドキドキ、しちゃうんだろう。
笑ってくれた顔がずーっと、忘れられない。
でも。
好きな人が、少しも動かなくなって、静かに、土に帰されて行くと、眼から水が、溢れて溢れて、溢れて溢れて、なぜ、止まらないのだろう。
どこから来たんだろう、心って。
どこから来たんだろう。私たちは。
心って、何だろう。
何なんだろう、自分って。

人は、その「高い壁」と言う、パラ・ディソに護られて。
「夢を見る、遊び」を、手に入れたのです。
そしてスクール、と言いますのは、あなた自身があなたの夢を捜し、育てる、そのお手伝いを、する場所なんです。

これから、三年間と言う、大切な、スコラな時間。
悔いのないように、良い友を見つけ、素敵な夢を、育てて下さい。

壁に護られた土地、パラディソ、と言うのは、もちろん、パラダイスの事ですよ。

ようこそ、わが南高校へ。
ご入学、おめでとうございます。

えー、みなさん。
ご卒業、おめでとうございます。
また、保護者の皆様を始め、ご家族・ご関係者の皆様方にも、今日の佳き日を迎えられました事を、心より、お祝い申し上げます。
君たちは、桜の咲く頃に、この学校の校門をくぐり、あっという間に、この旅立ちの時を、迎える事になりました。

卒業。
ご存じのように、英語では、グラデュエィションと申します。
グラーデュ・エイト。
グラーデュ、と言いますのは、実は、グレードと言う言葉と、同じ意味なんですね。
つまりグラデュ・エーションと申しますのは、新しい、グレードの階段を、エイトエイトと、よじ上って行く。
と言う意味なんです。

そして、みなさんは、今日、この学校の門を出た時から、新しい階段への一歩を、踏み出して、行くんですね。
しかし私たちは、これから、皆さんが、その、高く、険しい階段を上るのに、これまでの三年間に学んで頂いた、様々な鍵が、必ず、皆さまの新しい扉を、開けてくれるものと、信じてやみません。
もちろん、楽しい階段だけでは、ありません。
崩おれた階段も、足の届かない階段も、理不尽な階段も、危険な階段も、ございます。

高いグレードに、登るほど、苦しく、厳しく。
そして心寂しい、ものです。
そんな時、自分一人ではついつい、見逃し、諦めてしまいそうな、その大切な鍵を見つけ、励ましてくれるのが、友、です。
友、と言いますのは、もちろん、人だけでは、ありませんよ。
一カケラの言葉が、一生の友になる事も、ございます。
一瞬の歌も、一枚の写真も、風や樹の囁きも、懐かしい景色も、思い出も、みーんな、友です。

鍵を捜しあえる友、フレンドを大切にし、新しい、グレードの階段へ、向かって下さい。
手を、放さないように。

ねー。
いつか。
これからの、沢山の 厳しいグレードの壁と戦った皆様と、ホッとお茶でも飲みながら、そんな気楽な無駄話に興じる日が来ればと、夢見ております。

長いようで短く、短いようで長かった、この大切な季節の、スコラな、三年間。
ご苦労様でした。
新しい壁を、楽しく、頑張って、乗り越えて下さい。
今ある事への、感謝を、忘れず。
また、いつか。
フレンドと言いますのは、人生を通しての、最愛の人。
と言う意味も、ございます。

グラーデュエーション・デイ。
ご卒業、おめでとうございます。