INTERVIEW
西川美和監督×六角精児
特別対談「群像」3月号(2月5日発売)より
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誰も『身分帳』を知らなかった

──西川美和監督の新作映画『すばらしき世界』が二月十一日から公開されます。本作は西川監督が初めて原案小説をもとに製作された映画ですが、原案となっているのは、「群像」一九九〇年四月号に掲載された佐木隆三さんの長篇小説『身分帳』です。映画化に合わせて復刊された『身分帳』文庫版の「復刊にあたって」で西川監督は、二〇一五年に亡くなった佐木さんの訃報記事で『身分帳』の存在を知ったと書かれていますが、なぜ本作に関心を持たれたのでしょうか。
西川 佐木さんが実在の連続殺人犯・西口彰をモデルに書かれた『復讐するは我にあり』は今村昌平監督の映画を観たあと原作を読んで、初めて佐木作品の魅力に触れました。それから佐木さんの犯罪小説や裁判傍聴記はいくつも読んでいたのですが、『身分帳』という小説も、その言葉の意味も知りませんでした。
 でも訃報記事の中で作家の古川薫さんが、佐木さんの代表作は『復讐するは我にあり』とされているけれども、自分としては『身分帳』が彼の真骨頂だと思う、と書かれていたんです。当時ちょうど撮影の合間で少し時間があったので、インターネットで調べたらすでに絶版でしたが、中古本を取り寄せて読んでみると、ページをめくる手が止まらない。
 『身分帳』は、過去に殺人を犯した男が刑務所から出てきて社会生活に入っていく、ただ普通の生活を描いただけの地味な話なのですが、ほとんど裏社会と刑務所でしか生きてこなかった主人公が、日常を取り戻すために衝突と挫折を繰り返す。その一つ一つが冒険小説を読むように新鮮で。こんなにも切実な物語があるだろうかと、すっかりのめり込んでしまったんです。この面白い小説が絶版で今は誰も知らない、ならば私がこっそり映画化しよう、映画化すれば本も復刊されて、この面白さにもう一度気付いてもらえるんじゃないかと。それが出発点でした。
──六角精児さんは『すばらしき世界』の中で主人公と親しくなるスーパーの店長を演じておられますが、以前から『身分帳』を読まれていたそうですね。
六角 読んだのは一九九〇年代後半だったと思います。佐木さんの『わたしが出会った殺人者たち』という本にも『身分帳』のことが載っていて、主人公の山川一のモデルになった人に自分の話を小説にしてくれと頼まれて、『身分帳』が本になった後、彼が亡くなって佐木さんが喪主を務めるまでの経緯が書かれていました。
 僕は映画『復讐するは我にあり』も大好きだったし、なぜか裁判の冒頭陳述を読むのが好きなんですよ。『身分帳』もそういう興味で読んだのですが、たしかにすごく平凡な日常の話ですよね。主人公は殺人を犯しているんですが、殺人者の話というより、普通の中年男の生活をそのまま描いたようなイメージでした。佐木さんは犯罪小説をたくさん書いていますが、こういう切り口はなかったと思う。犯罪小説の中では異色だなと思った覚えがあります。
──佐木さんが『身分帳』のモデルの人物と出会ったのは彼が出所後、佐木さんのところに前科十犯の受刑歴や生育歴が詳細に記された「身分帳」の写しを送ってきて、これで小説を書いてほしいと頼まれたのがきっかけでした。「身分帳」は本来、刑務所の内部資料で門外不出なのですが、彼は自分の裁判の際に被告人の権利で全部書き写していたんですね。一般には見られない資料だから佐木さんも興味を持って、そこから付き合いが始まった。小説『身分帳』は出所後の彼の生活を描きながら、随所に「身分帳」の記述が挿入される形になっています。
西川 私は『身分帳』の映画化のために、主人公・山川一の手掛かりを求めて、三年かけていろんな人に会って話を聞いたのですが、関係者以外はこの小説の存在を知っている人がほとんどいなかった。「佐木隆三さんの『身分帳』という小説があってですね」と言って反応があったのは唯一、現金輸送車強盗をして何年間か刑務所にいた人だけでした。刑務所の中には「官本」といわれる、受刑者が自由に読める本があって、その官本で読んだと言うんです。
六角 官本で読んだ人がいるんだ。
西川 photoええ。やっぱり自分たちの境遇に近いものに興味がいくそうで、「それまで読書なんかしなかった人でも、刑務所のなかではやることがないから、ものすごく読書家になるんですよ」とおっしゃっていた。でもそれ以外は誰も知らなくて、台本を読んだ六角さんに、「これ『身分帳』ですか?」と言われたとき、ああ、うれしい! 読んだ人がいたんだと。それくらい、今はほぼ完全に忘れられている本なのだと、取材の過程で実感したんです。こんなふうに山川一の人生も、佐木さんがこれを書いた思いも全部忘れられてしまっていいのかと、なにか義憤のようなものが湧き上がってきて。
 六角さんがなぜか冒頭陳述を読むのが好きだという、その気持ち、私にもすごく分かるんです。別に自分で誰かを殺したいと思ったわけでもないけれど、何か犯罪を描いたものに惹かれてしまう。
六角 こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけど、社会から外れてしまった人の話が、僕はきっと好きなんですよ。何かそういう空気に触れたい気がする。
西川 私もそうです。今回の映画で主役を演じてくれた役所広司さんとずっと仕事をしたいと思っていたのも、十七歳の時に役所さんが西口彰の役を演じた「実録犯罪史シリーズ」というフジテレビのドラマを見たからです。当時私は「実録犯罪史シリーズ」をすごく楽しみにしていて。そんな女子高生なんて奇妙な感じだけど、誰から刷り込まれたわけでもなく、そこに吸い込まれていたんですね。

社会の見えない部分を描く

──『身分帳』では、終戦後の混乱の中で孤児として育ち、裏社会に入って犯罪を重ねた主人公が、通算二十三年間の刑期を終えて昭和六十一年に世の中に出てくるわけですが、映画では舞台を三十五年後の現在に設定されています。
西川 今でも刑務所から出てきた元服役者が社会に適応できなくて、また別の罪を犯して刑務所に戻ってしまう、理由を聞くと「刑務所に戻りたかった」という話をよく聞くから、『身分帳』を読みながら、三十五年前も今も変わらないんだろうなと思いました。
 ただ、『身分帳』は戦後史のアウトサイドの一幕として貴重な記録だと思います。戦争孤児のように親のない子どもたちが、戦後の社会でどういうふうに生き凌いで、いわゆる裏社会の構成員になっていったか。ヤクザという存在が今、世の中からものすごいスピードで排除されつつある中で、そういう集団がなぜ日本に生まれて、そこがどういう人たちの生き場所だったのかということが、『身分帳』から垣間見えた気がした。これを一切割愛せずに連続ドラマで映像化すれば非常に見ごたえがあるだろうと思いました。ただ私が作るのは二時間前後の映画ですし、予算的にも時代物を扱う余裕がない。悩みましたが、原案を現代に置き換えて、出所後の人がどうやって生活していくかというところを描く方向に落ち着いたんです。
六角 育った環境の中で、いわゆる裏社会へ行かざるを得ない人たちは今でもいるだろうし、昔はもっといた。そういえば『身分帳』の山川は、しばらくアメリカ人に育てられたりしていますよね。
西川 ジミーと呼ばれて進駐軍のアメリカ人将校の家で暮らして、彼らが帰国したあと養護施設に落ち着かず、非行少年として暴力団の事務所に出入りするようになっていくんです。
六角 西川さんもおっしゃるように、そういう行き場のない人たちにとって、一つの落としどころとしてあったのが反社会的な集団だった。社会からはみ出た人たちの集団として割と成立してた気がするんですよね。でも今は、反社会的勢力の人たちは銀行口座も作れない。そうすると世の中に収まりどころのない人たちは、どうやって生きていくんだろう。今も刑務所から出てくる人はたくさんいるはずだけど、僕らの周りにはあまりいないじゃないですか。彼らはどこにいるんだろう。社会には僕らの目に見えない部分がいっぱいあるんだと感じますね。
 以前、劇団の旅公演のとき、舞台セットを運ぶトラックの運転手だった人とよく遊んでたんだけど、あるとき一緒に風呂に入ったら、その人の背中に筋彫りが入ってて、「実は若い頃、人を殺めちゃいまして。それで自分にけじめ付けるために入れたんです」って言うんですよ。何のけじめなのか分からないけど。それを聞いた後で、またその人が「六角さんトランプしましょう」って誘いに来たとき、何か遠ざけちゃったんですよね。そんな自分が嫌なんだけど、つい遠ざけちゃったんだ。もう二十年ぐらい前の話だけど。
西川 ああ、分かるなあ。
──『すばらしき世界』の中で六角さん演じるスーパーの店長は、最初は主人公の万引きを疑って、その後仲良くなる。主人公の社会との接点として貴重な人物ですね。
六角 そうです。彼は映画でも『身分帳』でも町内会長をやってましたね。
西川 そこはちょっと悩みました。今は地域社会みたいなものが三十五年前よりさらに薄まっているから、スーパーの店長との関わりに果たしてリアリティがあるだろうかと。発表当時、『身分帳』に対して「周囲の人が善人ばかりで不自然だ」という批判があったと佐木さんが書いておられましたが、今はますますもって難しい。たまたま知り合った他人が、家に来たりお金を貸してくれるような人間関係はなくなっているから、映画として夢物語みたいに見えてしまうかもしれない。この人物を切るべきか、生かすべきかと悩んだんです。
六角 なるほどね。
西川 ただ、そういうものが本当に、完全にないのかと言えばそうではないと思うので。善人ばかりと言われながらも、この主人公の周りにいるのは数えるほどの人数じゃないですか。その小さな関わりの中から、社会で生きていくことの難しさを改めて感じたり、それでもそこに救われていったりという物語がある。だから私はこの店長を切れないなと思って、映画でも生かしたんです。
六角 たとえ多少デフォルメがあったとしても、そういう善人的な人が周りにいなかったら、この主人公の存在がちょっとぼやけてしまったかもしれない。この「すばらしき世界」というタイトルは、「まんざら捨てたもんじゃねえ」ってことでしょう。取り立ててベタベタしてるわけじゃないけど、人のことを全く見てないようで見てるし、見てるようで見てないし、世の中ってそういう部分があると思うんです。大したことはねえけど、まんざら捨てたもんじゃないっていう塩梅になっている。僕が演じたスーパーの店長の存在自体がそれじゃないかと。
西川 そうですよね。「すばらしき世界」というタイトルも、本当に悩みました。私は『身分帳』という、まあ何というか、人を引き付けないタイトルも含めて好きだったんですよ。
六角 「身分帳」ってさ、いつの言葉なんだろうね。身分って、すごいよね。
西川 ねえ。
六角 冒頭陳述もそうだけれど、「身分帳」の文体は全く温度のない言葉で淡々と書かれている中に凄みがある。フィクションではなく事実だけを述べていることの凄みみたいなものが、直かに伝わってくる読み物だと思います。
西川 そうですね。この小説の中には、「身分帳」だけじゃなくて、精神鑑定書とか裁判の記録もそのまま挿入されている。六角さんのおっしゃるとおり、飾り気がない言葉の中に、刃渡り何センチとか傷が何ヵ所とか、ぞっとするようなリアリティとか生々しさがあるんですね。
六角 看守の言葉とかにも、リアリティがある。
西川 ありましたね。

犯罪小説にはない日常の面白さ

西川 映画には入れられなかったけれど、小説『身分帳』には好きなシーンがたくさんあります。
六角 お見合いパーティの話が出てくるでしょう。
西川 そう! あのお見合いシーンを入れたくて、自治体がやっているお見合いパーティに私もスタッフで参加して取材したりしたんです。小説では、山川のところへ福祉事務所からお見合いの会の案内が来て、ケースワーカーが勧めるんですよね。「せっかくだから、参加したほうがいいと思います。いかなる境遇にあっても、幸福追求の権利はありますから」って。そんなふうに誰かが自分のことを思ってくれるなんてすごく心温まるシーンでしょう。でもケースワーカーの人に取材したら、今はそんなことは絶対してはいけない、個人のプライバシーにかかわるからと。
六角 小説では、そこで出会った女性と二人で会うことになるんだけど、会ってみたら宗教の勧誘だったんだよね。
西川 そうなんです。でも読みながら結構ワクワクして、この人はついに幸せになるのかって。
六角 そうしたら勧誘だった(笑)。佐木さんの小説には、そういうちょっと面白いところが入っているんですよね。
西川 たくさんあるんですよ。
六角 日常の中だけの話だけれども、日常から逸脱しないところでの面白さみたいなものがちゃんとある。それはなかなか、普通の犯罪小説には出てこない。
西川 そうなんですよね。一つ一つのことは小さいんだけど、すごくリアルでおかしみがある。
六角 山川が隣のアパートの大家の家の犬がうるさいと、大家の老人に怪電話をかけたりする場面もありましたよね。
西川 怪人二十一面相と名乗って、犬に「青酸カリ入りの肉ダンゴでも食わせてやろうか?」って脅すんですよね。でもすぐにバレてスーパーの店長に怒られる。あのシーンを六角さんと役所さんでやってもらったら面白かっただろうなあ。スーパーの店長とケンカして、「金持ち連中を枕を高うして眠らせるために温和しく生きるほど、俺らはお人好しじゃなかけん」って啖呵を切る、あれは大好きな台詞だったので、そのまま映画に使いました。
六角 小説では山川が就職のために免許を取ろうとして何度も技能試験に失敗して、試験場の窓口で揉めてたら、奥から出てきた警部さんが昔の事件で山川を担当した警察OBだった。あの人、いい人でしたよね。
西川 いい人なんだけど、「実は君とは、古い事件で付き合った」と呼びかけられた時に、山川の態度が豹変する。あの態度の変化も面白かった。権力を持っている人の前に行くと、急に態度を硬化させてしまう。相手は優しい言葉をかけてくれるのに、そういう言葉に対して素直になれない、「同情されるのは性に合わない」と書かれていたのも、すごく印象的でした。山川はなかなか思うように立ち直ってくれないし、役人にも隣人にも、冷たくされることもあれば意外な情をかけられる瞬間もある。それが社会の複雑さであり、生きていることの難しさと楽しさでもあるんですね。
六角 ちょっと聞きたいんですが、映画の中で、主人公が昔の仲間である博多のヤクザの親分のところに行くシーンがあるでしょう。警察の家宅捜索で家に入れなくなって、ヤクザのおかみさん役のキムラ緑子さんが祝儀袋を渡しながら、「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢のわりにたいして面白うもなか。やけど、空が広いち言いますよ」っていう台詞があるじゃないですか。あの言葉って、『身分帳』の中にあったんですか?
西川 あれはたしか、私のオリジナルですね。
六角 あれさあ、すごいよ。僕は、あの言葉がこの映画の中で一番好き。
西川 そうですか? やっぱりあの台詞が人に引っかかるんですね。そこから英語タイトルも「Under the open sky」と付けられました。
六角 photo僕は「すばらしき世界」というタイトルはあの言葉に通じると思うし、それとは全然逆の、「人は人を救えない」っていう言葉にもつながってると思う。人は人を救えないと思ってるんですよ、僕はね。だから、「すばらしき世界」というのは、ものすごく逆説的な感じがするところはあるけれども、あの言葉があることで、「捨てたもんじゃない」ってところにもつながってくる。希望にもなるし、ちょっとした絶望にも感じるし、どっちでもある。
 僕は、あの博多に行くシーンが全部好きなんです。夜に飛行機で行くじゃないですか。主人公がポーンと空に飛んで、夜景が広がって、親分に歓待されて、最後に家宅捜索で追い出されて、そこであの台詞。うわあ、いいなって。あんなシアトリカルな台詞を佐木さんが書いてたかなあと思ったんだけど、映画のオリジナルだったんだ。何処から出てきたんですか?
西川 いやあ、それがどうして出てきたのか自分でも思い出せないんです。たぶん、そのままズバリじゃないけど、刑務所から出てきた人の話を何人かに会って聞いたんですよね。今の生活とか仕事の内容とかも聞いて、まあそりゃあ刑務所のほうがよっぽど楽ですよ、って皆さんおっしゃる。昔、暴力団にいた人は、刑務所の中でも威嚇すればそれが力になって事が片付いていたけれど、出所したら、そんなことをしたら本当に居場所がなくなるのが一般社会だと。自分たちがそれで通用すると思っていたことが全部崩れちゃうから、生き方が分からないし、肩身が狭いって言う。でも、「刑務所に戻ったほうがいいと思いますか?」と聞くと、「いやあ、娑婆がいいですよ」って言うんですよ。矛盾してるでしょう。なぜそんなに生きづらい、窮屈な思いをして、責任も負わされて、それでも外の世界がいいのかというと、「やっぱり娑婆は自由ですから」と言うんです。あなたの今の状況は自由じゃないんじゃないの? と思うけど、そこはほとんどの人が同じことを言っていた。
六角 そこでしか生きられない人の自由だな。そういうものがきっとあるんだ。僕たちはあまり自由だと思って生きてないですもんね。
西川 そうなんですよね。非常にレンジの狭い自由かもしれないけど、私たちが見てるこの空よりも、空が広く見えるんだろうな、と。そんな感覚からなんとなく生まれてきた台詞なのかもしれない。
六角 分かる気がしますよ。それは。
西川 そうですね。でも「Under the open sky」っていう英語のタイトルを聞いたとき、ちょっと怖い言葉だなとも思いました。晴れ晴れしたようなタイトルでもあるけど、何となく寄る辺がないというか、ちょっとだけ怖さを感じる。意味的には「すばらしき世界」というタイトルの両義性に通じるところもあって、いいタイトルを付けてもらったなと思います。

何でもない人間の苦悩と喜び

──佐木さんの『身分帳』が「群像」に発表された一九九〇年はバブルの最中で、文学の世界でも様々な新しい小説や批評が出てきていた時代でした。そんな中で、元戦争孤児の男が社会と葛藤していく本作には、ある種、時代遅れ感があった気がします。その小説を今、映画化されたのは、逆に現代に通じる普遍性を感じられたのでしょうか。
西川 まさに生まれた時から遅れていた小説なんでしょうね。たしかに、七〇年代頃に書かれた小説のようなタッチを感じます。
六角 僕が読んだのは九〇年代後半でしたが、やっぱり七〇年代くらいの話のような気がしていました。ちょっと歴史ものみたいな感触というか。僕が子どもの頃には、戦争の傷跡はほぼ残ってなかったですから。ただ古さそのものが作品のテーマでもあるから、そのまま古いものとして受け入れたという感じでしたね。
西川 でも、もしかしたら、『身分帳』と同じ時代の最先端であった作品のほうが、今読むと古さを感じてしまうかもしれないですよね。九〇年前後の時代感が強い分だけ余計に。
六角 そうかもしれない。
西川 ただ、映画化するのは結構勇気が要りました。こんな話をいったい誰が観たいんだろうと。ヤクザ映画もなくなって、はぐれものがカッコいいという時代ではまるでなくなってるし、中年の男が刑務所から出てきて、ただ単に何でもない日常が続くだけでドラマがあるわけでもない。そんな話を誰かが観てくれる映画にできるだろうかと思いながら作っていたんですけど。
六角 たしかに誰が観るんだろう、という気がしますよね。すみません、監督。
 ただ……、僕は映画が完成して試写を観た時に、この作品に出てほんとに良かったと思った。
西川 うれしい!
六角 だから、佐木隆三さんという作家を知ってて良かったし、佐木さんの小説を読んでて、この映画に出て、それを観た時に、こんなに面白かったということが単純にすごくうれしいんです。この映画の面白さはどこにあるんだと聞かれたら、ひとりの男の苦悩と喜びの日常を描いているところにあると言いたい。それが何だ? と言われたらそれまでだけど。人間ってものが精一杯に生きている姿を見て、自分がどうやって生きてるのか、それぞれが振り返ってくれればいい、そうやって観れば楽しめると思うんです。世間的にピンとくるキャッチフレーズはないけど、だからこそ映画にする意味がある。映画ってそういうものだと思うんですね。
西川 ええ。一言にまとめられないものだから、映画にしているんです。
──佐木さんは『身分帳』の単行本のあとがきで、「法律に触れたことが〝マイナスの営み〟であっても、その人に固有の価値観は揺るがない。ステレオタイプでない価値観に出合うために、わたしは生きているのだ」と書かれています。固有の価値観で生きている人を描いたのがまさに『身分帳』だったし、映画からもそれを強く感じました。
西川 佐木さんがこの映画を観て、どう思われたのかって感想を聞きたかったですね。
六角 だけどさ、昨今いろんなものが映画になるでしょ。これは僕のイメージだけで言うんだけど、原作と映画がずいぶんかけ離れてしまったり、どこかを強調したいがために原作を大きく歪曲してしまったり、そのことで果たして面白いのか面白くないのか分からなくなってしまっているものが結構ある気がするんですよ。でも映画『すばらしき世界』は、『身分帳』を読んだイメージとあまり変わらなかったんです。時代設定もエピソードもこれだけ原案と変えているのに、小説の皮膚感覚みたいなものがちゃんと残っている。こういう映画も珍しいと思う。それはやっぱり監督がしっかり時間と手間をかけてリサーチをして、違和感のある部分は除いて、そのうえで現代にしっかりと映し込んだ結果だと僕は思います。
西川 そう言っていただけると、四年間が報われます。本当に。
六角 それだけしっかりと吟味していかないと、きっとどこかに落とし穴ができちゃう。僕はこの映画を観て、本当に噓がないというか、噓にしてないところが素晴らしいと思った。
西川 ありがとうございます。現場では六角さんと多くはお話ししませんでしたけど、この作品のテーマに共感してくださっていることが心の支えになっていました。
六角 やっぱり役を自分の心に落とし込まないと始まらないんだけど、ちゃんと落とし込める状況を作ってくれていたのが脚本の力だったと思います。
西川 これまで私は原作ものをやっていなかったので、長い小説を二時間の映画に落とし込むための技術もないですし、作者の佐木さんは亡くなっていて主人公のモデルも分からない。すべてゼロからのスタートだったんですが、何しろこの小説は面白いと思ったのが最大のモチベーションでした。もちろん苦労はしましたけど、全体的にはやっぱり楽しくてしょうがない作業でしたね。だからこんな面白い小説を書いてくださった佐木さんにすごく感謝していますし、佐木さんの書かれた台詞の面白さを、映画でも俳優さんに言ってもらってスクリーンに活かせたのは、「やった!」という気持ちです。

「群像」2021年3月号

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