REVIEW

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㊗受賞レビュー

最優秀レビュー賞:鈴木太一さん

月刊誌に掲載されていたシナリオと西川監督のエッセイ集『スクリーンが待っている』を拝読した上で観た。迷ったが、公開まで待てなかった。大丈夫。事前に得た知識や予想など、西川映画は軽々と超えてくる。むしろある程度分かっているくらいの方が、超えてきたときの感動が一入じゃないか。そんな言い訳をしつつ劇場へ向かった。

観終えて。とにかく足取りが重かった。当然スマホをポケットから出す気力もない。「超えてきた」は確かだったが、その破壊力は凄まじく、メーターを振り切ってしまっていたのだ。これまでの西川監督の映画はどんな題材を扱っても、どこか隣にあるようなそれだった。鑑賞中、自然と自分がスクリーンの中に入り込んでいけるような。しかし、今回はその真逆。私は最前列で観ていたが、時間の経過に連れてどんどんとスクリーンが遠ざかっていく。なんてことはない、私もよく見知った風景が映って、そこに私の周りにいるような市井の人たちが生きている。なのになんでこんなにも遠いのか。とにかく無我夢中に喰らいついた。どれほど心震えるシーンでも涙より先に汗が出てきたくらいだ。そしてラスト。私は二時間以上に及ぶ自身の全力疾走の訳を、最も明瞭かつ非情な形でわかることとなる。夫々の思いの中にいる人たち。その人たちを置き去りにぐんぐんと天に昇っていくキャメラ。昇り切って、ややくすんだ空に浮かぶ無機質なタイトルの文字。ああ、そういうことか。私は三上でなければ津乃田でもなく、はたまた庄司夫妻でもなければ、井口でも、松本でもない。神奈川くらい近いのにブラジルくらい遠い窮屈だけど安全な場所から彼らを見ている、無感情に無思考にただ見ている「社会」の側だったんだ。何を偉そうに足伸ばして観て、役所さんも仲野さんもいい芝居だなあとか評価しちゃって、お前それ以前に、彼らの前で胸張って「生きてます」って言えんのか? もし三上みたいな人が自分のアパートの隣の部屋に越して来たらどうするよ? 偽善でもなんでもいいから手を差し伸べられんのか? そもそも挨拶一つできねえんじゃねえか? ああ? どうなんだよ! ……。足取りは重い。スマホをポケットから出す気力などない。
なんとかして駅に着いた。普段は映画といえば新宿なのだが、今日は仕事の帰りに上野で観たので、図らずもあの三上と庄司が待ち合わせをした場所にほぼ同じ頃合いに来てしまっていた。人は多くない。これなら三上もあんなにきょろきょろせずとも庄司を見つけられたかもしれない、なんて考えたが矢先、そういえば皆一様にマスクをつけていることに気付く。老齢の庄司が放つ「三上君!」はマスク越しにはもしかしたら届かないかもしれない、仕方ないとマスクを外して叫べば、周囲は白い目で見るだろう。駆け寄る三上ははたしてマスクをつけているだろうか。もしつけていなければ、マスク警察なる輩がスマホで撮影しながら二人に近づいてくるかもしれない、そうしたら三上はもう冒頭からキレてしまっていたかもしれない……。原案小説の設定を約35年後の現代に置き換えた本作だが、今の今では、もはやあのさりげないワンシーンすらも過去のものとなってしまった。そのことがなんだかとても悔しくて腹立たしくて地団駄を踏んだ。そして思った。この悔しさ、腹立たしさを忘れまいと。『すばらしき世界』に突きつけられた問いに答えをもって立ち向かうにはまだ時間がかかるだろうが、歯を食いしばって挑み続けようと。
電車に乗った。隣に座っていた男子高校生のイヤホンから激しく洩れるYouTubeの音がどう考えてもうるさい。よし注意しようかと思ったら、その男子高校生はつと立ち上がり、やや離れた場所にいる老人にマスクを外して声を掛け席を譲った。一切の損得勘定のない優しい笑みで。私は音漏れへの苛立ちばかりで、そんな老人に気付きすらしていなかったのだ……。おい! いちいち落ち込むな、まだお前の闘いは始まったばかりだぞ! と自分を励ましながら、二人を見ていた。徐に座った老人はやはりマスクを外して「ありがとう」と言い、男子高校生は頷きつつ照れ隠しにマスクをつけなぜかイヤホンを外しスマホをしまった。ああ『すばらしき世界』である。

そういえば三上が東京の電車に乗るシーンがなかったな、許可取りが大変だったのかな、あったら尚良かったな。私小説みたいに書き連ねてしまったので、最後に映画サイトのレビューらしき戯言を添えて。

西川美和監督賞:akubiさん

僕は学生です
世の中は怖い人ばかりで、
それは罪に問われた人だけじゃないです

怖い人に囲まれながらこれから頑張らなくちゃとちっちゃい絶望を毎日繰り返し感じています

まだ若い僕はこの映画を見て、全てを飲み込む事はできませんでした
だけど、自分の居場所は止まったある地点にあるんじゃなくて、自分を中心としたちっちゃな世界なのかなと思いました

これが当たってるか間違ってるか分かりませんが、何を大事にして生きていけばいいか分からなくて、何に悩んでるかも分からなかった僕にそっと手を差し伸べてくれた作品でした

映画っていいですね

仲野太賀賞:46さん

まっすぐさは時に自分もまわりも苦しめる。生きるとは、自分の意思を殺し、適当に取り繕う術をもっておかなければならない、そしてそうやって今も生きてる。三上のいい意味でのまっすぐさは時にやさしく、時に残酷だなとおもった。私たちは法の過ちをおかしてはいなくとも、小さな罪悪感を持って生きてる、自分の心が汚れてる気がして、悲しくなった。それでも人のやさしさを忘れず、繋がりを閉さず、どこにいてもこの世界の空は広いと上を見上げ、生きていきたいとおもった。