予告2
TVCM(42番編)
予告
ブルーレイ&DVD トレーラー
TVCM(感動編)
ハリソン・フォード
インタビュー

ABOUT THE FILM

知っていますか?
一年に一度、イチローたち大リーグの全選手が
背番号「42」<世界を変えた男>を称えることを。


4月15日。その日、大リーグではグラウンドにいる全員が背番号「42」をつける。どのチームの、どの選手も。敵も、味方も、関係なく。なかでもイチローは、その背番号の重みをもっともよく知るひとりにちがいない。「42」—それは、大リーグで唯一の、全球団共通の永久欠番。その裏側に、鳥肌の立つようなドラマがあった。

1947年、ひとりのメジャーリーガーが誕生する。彼の名はジャッキー・ロビンソン。背番号は「42」。当時、白人選手だけで構成されていた400人のメジャーリーガーの中でたったひとりの、そして初めての黒人選手だ。そんな彼を待っていたのは、出ていけ!の大合唱。敵は相手チームだけではない。観客、マスコミ、時には審判、そしてチームメイトさえ、まわりじゅうのすべてを敵にまわす中、何にも屈せず、やり返さず、ただ黙々と渾身のプレーを続けることで、彼はそこが自分のいるべき場所であることを、自ら証明してみせていく。そして世界は少しずつ、しかし確実に変わり始める—。

ジャッキー・ロビンソンが選手として最初の一歩を踏み出す扉を押し開けたのは、ハリソン・フォード演じる球団GM、ブランチ・リッキーだった。ジャッキーを全力で守り、支え続けた屈指のリーダーだ。はじめはこの2人に猛反発したチームメイトたちも、記者や観客たちと共に、やがて誰も想像できなかった奇跡の光景を目の当たりにすることになる。

絆と、希望と、感動と—。ジャッキー・ロビンソンなくして、人種の違うイチローたち日本人MLBプレイヤーの活躍はあり得なかった。新しい世界を切り開いた男たちの、実話に基づく物語。チームが、観客が、世界が変わる瞬間を、全身を駆け抜ける感動とともに、あなたのその目で見届けてほしい。そこにあるのは本物の希望。涙が何度もこみ上げる—。

絆と希望と感動と—。
世界を変えた、誰も想像できない奇跡の実話。
coming soon

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[アメリカの伝説]
その言葉を基準にすると、ジャッキー・ロビンソン自身の人生は、まさに歴史的な価値があったといえる。メジャーリーグ・ベースボールでプレーする初のアフリカ系アメリカ人となるうえで、彼は“黒人は劣っている”という人種に対する偏見と、人種隔離が当然だという考え方に挑んだ。彼は、アメリカの国民的娯楽に堂々と存在した人種差別の壁をぶち壊すために、憎しみ、嘲り、そして嫌がらせに耐えた。彼は、人種の平等を妨げようとする人々に敢然と立ち向かい、ひとりの人間の人生がアメリカ文化に非常に深い影響を与え得ることを証明したのだ。

[運命&勇気]
米南部の田舎で生まれ、カリフォルニア南部で育ったジャッキー・ロビンソンは、兄たちを追うようにスポーツに励んだ。代表チームの対抗戦のあるスポーツ競技で参加できるものがあれば何でも挑戦したのだ。そしてロビンソンは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で初めて、野球、バスケットボール、フットボール、そしてトラック競技の4つのスポーツで、代表チームの選手として表彰された。
大学卒業後、ロビンソンのフットボール選手としてのキャリアは第二次世界大戦によって断ち切られ、ボクシングの王者ジョー・ルイスの力添えにより、彼は軍の幹部候補生学校へ入学。だが、人種間の緊張と差別によって彼の軍人としてのキャリアは花開くことなく、彼は一度も実戦を経験することはなかった。終戦後、バスケットのコーチをしていたときに、彼は二グロリーグでのプロ野球選手としての契約をオファーされた。
その二グロリーグでプレーし始めて1年もたたないうちに、ロビンソンの野心と才能にブルックリン・ドジャースのGMブランチ・リッキーが目をとめた。リッキーは、偉業を達成できる人材を捜していたのだ。

[人種の壁を打破]
ブランチ・リッキーは、ロビンソンが反発や差別を受けるだろうと予測。それは、対戦相手の球団からだけでなく、チームメイトたちからの反応で現実のものとなった。ロビンソンは、肉体的に乱暴な扱いを受け、人種差別的な罵声を浴びることもしょっちゅうだった。彼が出場する限り、相手の球団からは対戦拒否を脅され、自分のチームメイトからは試合に出ないと脅された。
それでも、メジャーリーグの多くの人々がロビンソンの味方に付いた。なかでも注目すべきはチームメイトのピーウィー・リースで、彼は人種差別的な罵声を浴びたロビンソンの肩に腕を回し、こう言った。「人を憎むには多くの理由があるだろうが、肌の色はそのひとつではない」。そして、対戦拒否をしている球団は出場停止にすると脅かされ、頑固にロビンソンを拒絶するチームメイトはトレードをちらつかされた。
ロビンソンは、その年に制定されたメジャーリーグ新人王を獲得してそのシーズン終えた。翌年には、さらに5人のアフリカ系アメリカ人選手がメジャーリーグに入団。ロビンソンの引退までに、ドジャースは6回のリーグ優勝と1955年のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。

[ヒーローが遺したもの]
ロビンソンのメジャーリーグ・デビューによって、米プロ野球界で60年続いた、“野球の有色人種差別”と呼ばれた人種差別の方針に終止符が打たれた。彼がメジャーリーグで活躍したのはたった10年だったが、その期間にリーグ優勝6回とワールドシリーズ優勝1回に貢献。1957年に引退し、1962年に野球殿堂入りを果たした。
ロビンソンは、引退後の年月の大部分を某企業の重役や起業家として過ごし、ニューヨークのハーレムに本社を置くフリーダム・ナショナル銀行を共同で創立したほか、全米有色人地位向上協会の理事を10年以上務めた。また、低所得世帯向けの住居を専門とするジャッキー・ロビンソン建設会社を設立した。
そして彼の死後、妻はロビンソンの生涯と業績を称えて、ジャッキー・ロビンソン財団を創設。奨学金や指導教育プログラムの提供を通して、経済的に困窮している若者たちを助けている。
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