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陰陽師0

PRODUCTION NOTES プロダクションノート PRODUCTION NOTES プロダクションノート

 『陰陽師0』は、監督の佐藤嗣麻子と原作者の夢枕獏の長年の親交から生まれた映画だ。SF好きで夢枕獏のファンでもあった佐藤監督は、19歳頃から夢枕氏のファンの集いに参加。その頃に連載が開始された「陰陽師」を読んだことが、佐藤監督が陰陽師や安倍晴明、源博雅を知るきっかけになったという。いつか映像化したいと願い、『エコエコアザラク』や『アンフェア』などを手掛けキャリアを積み、満を持して「陰陽師」の映画化に挑戦することとなった。
「すでに陰陽寮や村上天皇のことまで調べていたので、若い頃の安倍晴明を描こうと思いました。現代に通ずる話も入れたくて、“フェイクニュース”をテーマのひとつにしています。人が作ったストーリーを信じ込んでしまう。みんなが“呪”にかかる話にしようと考えました。晴明がいた頃は陰陽寮に貴族以外も入れたので、出世の物語としても面白くできると思いました」(佐藤)
原作での安倍晴明は40歳前後だが、本作『陰陽師0』は27歳の晴明が主人公。悪態をつきながらも酒を酌み交わす晴明と博雅は、原作ではおなじみの風景だ。「原作の魅力は2人の関係性。そして人間の心や業を描いているので、映画でも人間の本質的な部分を語らないといけないと思いました。“呪”も人の思いから生まれるものですからね」(佐藤)
 921年2月21日に誕生したと伝わる晴明。官職についたのは遅く、40歳で天文得業生に。この記録こそ、晴明の名が歴史に現れた瞬間である。暦家として名高い賀茂忠行と、その子である賀茂保憲の門下生として暦学や天文を学ぶと41歳で陰陽師となり、52歳で天文博士に。蔵人所陰陽師になったのはなんと75歳のときであった。

保憲死後は花山天皇や一条天皇、藤原道長の下で働き、陰陽師として最高位の従四位下を得たのが80歳。85歳で亡くなるまで生涯現役だった。
 『陰陽師0』は948年(天暦2年)に起こる出来事を描いた物語だ。早良親王の怨念が不穏な出来事を起こしているという占いの結果で長岡京から平安京に遷都されたほど、“怨霊”に怯え、死は“穢れ”とされた時代。死体に躊躇なく触れる晴明が異質であることがよくわかる。本作に登場する陰陽頭の藤原義輔は架空の人物だが、賀茂忠行、惟宗是邦、葛木茂経は実在した陰陽師。そして源博雅は、父が醍醐天皇の第一皇子という実在の貴族だ。雅楽家としての功績も多く、現存する最古の笛譜「長慶子」は博雅作。作中でもその一節を聞くことができる。徽子女王も伊勢神宮の斎宮を11年間務めた、実在した人物。三十六歌仙に選ばれるほどの和歌の名手で、琴の演奏にも長けていた。
 史実や原作を大事にした佐藤監督から呪の作成と作品の呪術監修を託されたのが、人気作家の加門七海。登場する6つの呪について呪文、印、御札を考案した。「古文書や、現在も使われている中国道教の呪文や印などを参考に呪を考えました。万が一のことが起こらないよう、あえてフェイクを加えています。クライマックスの呪は神様を呼ぶためなので、しっかりとしたものを作りました」(加門)。10本の指とそれぞれの関節に意味があり、その組み合わせから成る印。呪文を唱えながらスムーズに印を組み換えていく動作は相当な難易度だ。「山﨑賢人さんには手加減なしで教えましたが、本当に努力家。舌を噛みそうな呪文も頑張って覚えてくださって素晴らしかったです」(加門)
 撮影が開始されると、スタジオやロケ地のあちこちで、呪文を唱えたり印の練習をしたりする山﨑の姿が見られた。ある日、「指がここまで曲げられるようになりました」と話していた山﨑。聞くと、「指の骨の間に鍼を打ってもらったんです」と言う。そんな高いプロ意識を持つ山﨑を中心に、佐藤組の現場はいい緊張感と和やかな空気が混ざり合っていた。裸足に木沓、烏帽子という平安の衣装に苦戦しながらも、できる限り体になじませようとする俳優たちの努力を、撮影スタッフが全力で支える。現場の誰にでも気さくに声をかける佐藤監督の人柄のおかげで、全員が気持ちをひとつにしながらより良いカットを作り出す。理想的な空気は最終日まで途切れることがなかった。
 平安時代の人々が着ていた衣服は、私たちが想像する以上に自由で色鮮やかだったという。衣装を担当した伊藤佐智子は、学生の衣装には動きやすい蚊帳生地を採用。前を開けたり袖を抜いたりというアレンジを加え、本作ならではの狩衣を作り上げた。晴明=青、博雅=緑青、徽子=つつじ色(マゼンタ)をキーカラーにビビッドな色味に。晴明の青い狩衣には、晴明と縁がある高野山・奥之院の霊木から作った生地を使っている(自然災害で倒れた霊木を使用)。「森羅万象を司る陰陽師・安倍晴明にふさわしい衣装ですよね」(伊藤)
 本作の舞台である平安中期は、唐風の文化から国風文化への移行期。貴族は糊の利いてない柔装束を着ていた時代だ。特に女性の装束は決まりがなかった。侍女らは袿を重ね、位が高い女性ほど薄着になる。そのような考証から考え出された徽子女王の単袴は、涼しげで軽やかなものになった。
 平安貴族のイメージを覆すアクションはどう作られたのだろうか。陰陽寮から外に出ていく、晴明と博雅の脱出アクションについて佐藤監督は、「呪術を使うキツネの子という設定なので、『重力が弱い、宙に浮いている感じに』」と、アクション監督の園村健介にオーダー。「園村さんは、『羽生結弦さんのスケートをイメージして作った』とおっしゃっていましたね」(佐藤)
 馬に乗りながらのアクションを行うため、山﨑と染谷は撮影前から馬術レッスンを受けた。佐藤監督も撮影の3年前から乗馬レッスンに通ったという。「『監督が乗りに来たのは初めてです』と言われたのには驚きましたが、やはり監督も馬の傾向や安全性を知っていたほうがいいですからね」(佐藤)
 白組を中心に数多くのVFXクリエイターたちが参加した本作。VFXプロデューサーを務めた白組の井上浩正は、「平安時代の再現。そして龍や大樹に飲みこまれるシーンでのエンタメとしてのVFX。この2点に力を入れました」と総括。「佐藤監督は打ち合わせ段階から具体的で独創的なイメージを持っていましたね。今までの時代劇と一線を画すためには、監督のイメージの具現化が一番だと思い取り組みました」(井上)
 晴明が見る夢の風景を作った江場左知子(Fude)は、佐藤監督いわく「日本で一番マット画が上手い」マットペインター。江場は、「監督がイメージされていたスコットランド、ハイランド地方の景観を参考に、美しくも不可思議で壮大な風景を目指しました。空間的な整合性を損なわぬよう、ほぼ360度の背景を一続きで制作しました」と語る。一方、博雅と徽子の周りに花が咲き誇る部屋は、京都の瑠璃光院のイメージ。VFXを担当した山口任弘と三浦大河(共にサンティー)は、「リアルすぎるとホラー映画のようになってしまうので、そうならないようにディテールや形状を調整しています」と、博雅の心象を草花で描ききった。そして佐藤監督が最もこだわった龍の描写は米岡馨率いるStealthWorks.が制作。「炎も水も計算負荷が非常に高く大変でした。火龍は悪意の象徴としての攻撃的な荒々しさを。水龍は守護獣としての穢れの無い水の荘厳さと圧倒的な力を表現することに尽力しました」と、佐藤監督の思いをVFXに注いだ。
晴明の夢の中、博雅と徽子の花咲く空間。そして佐藤監督がこだわった圧倒的スケールの火龍と水龍…。物語の根幹を支えるシーンでのハイクオリティなVFXは必見だ。
 撮影地は、作品の世界観を最優先して選定された。安倍晴明の伝説が残る大覚寺、仁和寺でロケを敢行。仁和寺では、国宝阿弥陀三尊のある金堂での撮影が許可された。その他、奈良の平城宮跡、浮見堂、琵琶湖、えさし藤原の郷など全国各地で大規模ロケを行ったほか、都内スタジオに陰陽寮や大内裏の各館をセットとして設営。美術の林田裕至と愛甲悦子が、佐藤監督からの要望をもとに各セットをコンセプトから考案。太い柱から小道具の細部に至るまで、こだわり抜いた美術が展開されている。
 各分野のプロフェッショナルが集結し、全員の思いが結実した『陰陽師0』。いよいよ、誰も見たことのない呪術エンターテインメントが幕を開けるーー。

原作 夢枕獏 X 脚本・監督 佐藤嗣麻子 原作 夢枕獏 X 脚本・監督 佐藤嗣麻子

夢枕 『陰陽師0』を観ながらずっと、「新しい安倍晴明ができあがっていくんだな」と感じていました。これまでの晴明とはかなり違う晴明が生まれたと思いますね。木の枝を腕に当てて暗示をかけ、こうして呪というものが出来上がるんだと最初に説明しつつ、最後に晴明が本物だったとわかる構成もよかった。最後まで呪=暗示で押し切ると、安倍晴明の物語ではなくなってしまう。ツッコミどころはほぼないんじゃないでしょうか。博雅と晴明の関係性がここから生まれたという意味でもよくできていると思いました。事前に脚本を読んだ時は小説のように読んだので、佐藤監督には「青春物語としていい出来だと思います」という感想を送りましたが、書いた本人の頭の中には映像がすでにできていたんでしょうね。
					佐藤 全然ダメだよとか言われたらどうしようと思っていたので、今の言葉を聞いてとてもホッとしました(笑)。獏さんとは付き合いが長いので、獏さんが嘘をつくとすぐわかります。今のは心から褒めてくれたんだと思います。
					夢枕 僕は佐藤監督がプロになる前から知り合いで、「いつか俺の小説を原作に撮ってよ」なんて言っていたんですよね。30年ぐらいかかったけど、今回実現できて本当によかった。
					佐藤 「陰陽師」を映画にするにあたって獏さんから2つリクエストがありました。「雲中菩薩を出してほしい」「口から呪文を出してほしい」って。
					夢枕 普段そういうことは言わないけど、「見たいんだよね」って。原作者が言うと普通はプレッシャーになるだろうけど、佐藤監督は大丈夫だろうから安心して言いました。あと最初の脚本を読んだ時に、「言葉が現代語すぎるんじゃない?」って言ったよね。
					佐藤 それで「ここからは現代語で」という一文を入れたんです。
					夢枕 現代的な表現は使わざるをえないし、「催眠術なんて言葉、平安時代にあったの?」と余計な心配をされないためにも、注釈を入れたのはよかったと思いますね。
					佐藤 呪術監修の加門七海さんにも、「ガラスより瑠璃か玻璃では」と言われたけど、若い方たちはわからないだろうからとガラスにさせてもらったり。
					夢枕 平安に統一するなら徹底しなければならなくなるからね。そのラインをどこに決めるかは監督の判断だと思います。俳優のみなさんもよかったですね。山﨑賢人さんと染谷将太さんは、晴明と博雅のキャラクターの違いをしっかり演じてくれた。「俺を信じろ!」のところなんてもう…。落涙しそうになりましたよ。博雅の「俺は晴明の悪口言っていいけどお前が言うなよ」みたいなお芝居は、「そうそう、そうなんだよな」と原作者として響くものがありました。陰陽寮の先生たちも、誰もが「本当は悪い人かも」と思わせてくれて素晴らしかったです。「陰陽師」ファンの方には、どれだけ楽しみにしていただいても大丈夫ですと伝えたいですね。
					夢枕 『陰陽師0』を観ながらずっと、「新しい安倍晴明ができあがっていくんだな」と感じていました。これまでの晴明とはかなり違う晴明が生まれたと思いますね。木の枝を腕に当てて暗示をかけ、こうして呪というものが出来上がるんだと最初に説明しつつ、最後に晴明が本物だったとわかる構成もよかった。最後まで呪=暗示で押し切ると、安倍晴明の物語ではなくなってしまう。ツッコミどころはほぼないんじゃないでしょうか。博雅と晴明の関係性がここから生まれたという意味でもよくできていると思いました。事前に脚本を読んだ時は小説のように読んだので、佐藤監督には「青春物語としていい出来だと思います」という感想を送りましたが、書いた本人の頭の中には映像がすでにできていたんでしょうね。
					佐藤 全然ダメだよとか言われたらどうしようと思っていたので、今の言葉を聞いてとてもホッとしました(笑)。獏さんとは付き合いが長いので、獏さんが嘘をつくとすぐわかります。今のは心から褒めてくれたんだと思います。
					夢枕 僕は佐藤監督がプロになる前から知り合いで、「いつか俺の小説を原作に撮ってよ」なんて言っていたんですよね。30年ぐらいかかったけど、今回実現できて本当によかった。
					佐藤 「陰陽師」を映画にするにあたって獏さんから2つリクエストがありました。「雲中菩薩を出してほしい」「口から呪文を出してほしい」って。
					夢枕 普段そういうことは言わないけど、「見たいんだよね」って。原作者が言うと普通はプレッシャーになるだろうけど、佐藤監督は大丈夫だろうから安心して言いました。あと最初の脚本を読んだ時に、「言葉が現代語すぎるんじゃない?」って言ったよね。
					佐藤 それで「ここからは現代語で」という一文を入れたんです。
					夢枕 現代的な表現は使わざるをえないし、「催眠術なんて言葉、平安時代にあったの?」と余計な心配をされないためにも、注釈を入れたのはよかったと思いますね。
					佐藤 呪術監修の加門七海さんにも、「ガラスより瑠璃か玻璃では」と言われたけど、若い方たちはわからないだろうからとガラスにさせてもらったり。
					夢枕 平安に統一するなら徹底しなければならなくなるからね。そのラインをどこに決めるかは監督の判断だと思います。俳優のみなさんもよかったですね。山﨑賢人さんと染谷将太さんは、晴明と博雅のキャラクターの違いをしっかり演じてくれた。「俺を信じろ!」のところなんてもう…。落涙しそうになりましたよ。博雅の「俺は晴明の悪口言っていいけどお前が言うなよ」みたいなお芝居は、「そうそう、そうなんだよな」と原作者として響くものがありました。陰陽寮の先生たちも、誰もが「本当は悪い人かも」と思わせてくれて素晴らしかったです。「陰陽師」ファンの方には、どれだけ楽しみにしていただいても大丈夫ですと伝えたいですね。
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