そして、バトンは渡された

PRODUCTION NOTE プロダクション・ノート

本屋大賞を受賞する前に動き出した映画化の企画
普遍的な家族の話を挑戦的切り口でエンターテインメントに

2018年に発売、2019年に本屋大賞を受賞した「そして、バトンは渡された」(著:瀬尾まいこ)は、受賞前から映画化を熱望する声が多かった。前田哲監督もその1人だ。少し変わったタイトルにまず興味をかき立てられ、「困った。全然不幸ではないのだ。」という書き出しで始まる主人公・優子の物語に惹かれた。4回も苗字が変わり様々な両親の元を渡り歩く主人公は、不幸にも捉えられる境遇であるのに、文章からは温かい雰囲気が伝わってくる。そこには、前田監督が家族の映画に求めているテーマ─「愛とは、見えないところで見守ること」という普遍的な親の愛情と「観た人が幸せな気持ちに包まれる映画」というテーマが備わっていた。

前田監督をはじめプロデューサーたちの心を掴んで離さなかったこの小説は、2019年の春には映画化として企画が動き出し、2020年の秋に撮影に入ることになる。順調なスタートを切ってはいるものの、普遍的な家族の話をどうやって映画というエンターテインメントに昇華させるのか、脚本制作における難題はあった。脚本は、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』に続く前田監督作となる橋本裕志が担当。原作が持つエッセンスを揺るがすことなく、映画でどんな仕掛けを用意するのか、監督やプロデューサーと共に熟考を重ねた。映画化における大きな変更点は、2つの物語を中盤まで並行して描いていくことだった。2つの物語が複雑に絡み合って展開することで、愛ゆえの【嘘】と【秘密】は「そういうことだったのか!?」という感動的な驚きとなって返ってくる。

永野芽郁、田中圭、石原さとみ
運命的で幸せに満ちた、パーフェクトなキャスティング!

優子役の永野芽郁、森宮役の田中圭、梨花役の石原さとみ、いずれも脚本を読んで快諾、第一希望のオファーが叶うという何とも幸せなキャスティングが実現している。その背景には、原作が持つ力、その原作を映画として膨らませた脚本の力がある。特に永野にとっては、運命の巡り合わせのようなエピソードがある。もともと永野の母親が原作を読んでいたこともあり、母親から「もしもこの小説が映画化されるなら、優子を芽郁に演じてほしい」と言われていた役だった。その言葉とおり、優子役は永野へと舞い降りた。永野芽郁=優子の起用理由としては、4回も苗字が変わっても不幸を感じさせないポジティブさ、明るさが、永野のイメージと重なったことだった。

優子の血の繋がらない父親・森宮役には、30代だけれども18歳の娘のいる父親に見えること、親子のような親友のような絆を感じさせる父親であることが求められ、田中圭に白羽の矢が立てられた。森宮が優子との会話でときおり見せるファニーさは、田中が本来持ち合わせているファニーさでもあり、永野が「(田中との撮影の)初日に現場に行ったら、すでに森宮さんだった!」というほどのハマり役となった。森宮が身につけているメガネは衣裳合わせのときに「できるだけギラギラしないメガネがいいのではないか」と田中自身が選んでいる。

そして、梨花役の石原さとみ。みぃたんの誕生会のシーンで友達が「みぃたんのママ格好いいね」というセリフがあるように、梨花は子供から見ても大人から見ても華やかで格好良いが、悪女感も忍ばせなければならない。赤も青も、両極端な色を演じられるのは石原さとみ以外いない、という確信を持ってのオファーだった。

また、みぃたん役はオーディションが行われ、天才子役といわれている稲垣来泉が選ばれた。この映画は、圧倒的存在感と華のある大人の俳優が揃っていることから、彼らに負けない輝きを放っている子役、という理由での抜擢だった。そして、人気急上昇中の岡田健史は、優子が想いをよせる天才ピアニストの早瀬を演じ切った。さらに、梨花に振り回されながらも、愛する娘を残して夢を追いかけ海外へ行く水戸役を、前田哲監督デビュー当時の作品から出演が続く大森南朋が演じ、梨花が選んだ2番目の夫でみぃたんに念願のピアノを与え、梨花とみぃたんにお金に困らない生活をおくらせた泉ヶ原役を、市村正親が演じる。お金持ちだが紳士すぎず気取って見えない泉ヶ原は、市村正親以外はありえないと監督の前田哲は語っていた。

ピアノが出会いを繋いでいくバトンの世界
経験ゼロから半年間のレッスンを経て本番へ─

この映画は音楽映画としての一面もあり、ピアノが縁を繋いでいく物語になっている。梨花は「ピアノを習いたい」というみぃたんのためにグランドピアノを持っている泉ヶ原と再婚し、泉ヶ原はみぃたんのために調律を学んだ。また、優子が好きになった早瀬は天才ピアニストで、優子自身は卒業式で合唱の伴奏を担当することになる。物語のなかに、まるで日常の一部のように音楽=ピアノが存在しているのもこの映画の特徴のひとつだ。ちなみに、泉ヶ原の家にあるグランドピアノは、世界三大ピアノのひとつベーゼンドルファーのヨハンシュトラウスモデル!(なんとお値段は××××万円!)

永野は撮影の3か月前から、岡田は半年前からレッスンを始めた。永野は、以前からピアノを弾いてみたいと興味はあったが、ピアノ演奏の経験はなかった。岡田は、鍵盤の「ド」ってどこですか?というレベルからのスタートだった。週1回のレッスンが週2回に、3回に、2人のピアノへの興味と楽しさは練習を重ねるごとに増していった。卒業式のピアノ演奏のシーンで、永野は演奏と泣きの演技をみごとにやってのけた。一方、ヴィーナスフォートでアンパンマンマーチをダイナミックにアレンジする早瀬の演奏シーンで、岡田は本物のピアニストのような天才的な動きを披露し現場を沸かせた。撮影の合間には、劇中で使用する以外の曲も弾いて楽しんでいた永野と岡田。撮影を終えても2人はピアノを続けている。

みぃたん役の稲垣はピアノ経験者だったが、みぃたんとして徐々に上達していく過程を演じるため、永野と岡田と同様にレッスンを受けて撮影に臨んでいる。
絶対に自分で弾くのだと、大人顔負けのプロフェッショナルさをみせた。

物語の中盤に用意されたクライマックス級の卒業式
俳優と300人のエキストラの感動で埋め尽くされた空間

映画のなかに登場する曲は、多くの人が聞き馴染みのある曲─「ランゲ/花の歌」「ドビュッシー/アラベスク」「ショパン/英雄ポロネーズ」などが選ばれているが、「花の歌」に関しては、同じ曲の前半部分と後半部分を別々の物語のなかにさりげなく取り入れ、繋がりを持たせている。

卒業式で歌う合唱曲。原作は「ひとつの朝」だが、より感動と高揚感を味わってほしいという意図で、映画では現代のスタンダードな卒業ソング「旅立ちの日に」が選ばれた。卒業式のシーンは2日間にわたり、300人のエキストラと共に撮影された。永野にとってもこの2日間は、練習の成果をみせる緊張の時間。思うように弾けなかった優子が卒業式では立派に弾いている姿と、ピアノ初心者だった永野が数か月にわたる練習を経て卒業式のシーンに挑む姿と、役と俳優とそれぞれの努力が重なり合うシーンでもあり、撮影現場には何とも感動的な空気が流れていた。そして、前田監督がエキストラに向けた「自分の子供の合唱を、卒業を、あたたかく見守る気持ちで」という言葉によって、その日、体育館にいるすべての人が感動の演技をみせた。なかでも森宮役の田中圭の涙は、観ている人がもらい泣きしそうなほどの優しい涙で、号泣の芝居にスタッフもぼろ泣きだった。

普通の物語であれば卒業式のシーンはクライマックスに用意されることが多い。けれどこの映画では真ん中で描かれる。物語が普遍的で真っ直ぐで王道である分、構造でエンターテインメントを表現する必要があったからだ。中盤の卒業式シーンでクライマックス級に盛り上げて、さらに後半を感動的に展開させていく。「この脚本はとても素晴らしく斬新な構成なので登場人物の感情を繋いでいく事に腐心しました。」と前田監督が語るように、実はもの凄いことをやっています、という挑戦を為し遂げている映画でもある。

回鍋肉、ロールキャベツ、餃子、野菜たっぷりスープ、オムライス
味も見た目も栄養にもこだわった、森宮の愛情たっぷり料理

「子供に栄養をつけさせるのは親の務め」「優子ちゃんを幸せにするのが親の務め」と、森宮は料理で愛情を表現するキャラクターでもあるため、数々の手料理が登場する。前田監督作『極道めし』も担当しているフードコーディネーターのせんるいのりこは、見た目と美味しさはもちろん、栄養もしっかり計算されているレシピ─回鍋肉、ロールキャベツ、餃子、野菜たっぷりスープ、オムライスなどを用意した。

楽器店の前でばったり会った早瀬を食事に誘い、森宮、優子、早瀬で食卓を囲むシーンがある。3人で食卓を囲むそのシーンのメインは、ニラと野菜たっぷりの餃子だ。毎回、カットがかかるごとに、焼きたての円盤餃子が運ばれ(その日、用意した餃子の数は120個!)、前田監督からは、食べながら目線をどう動かすのかなど細かい演出が入る。永野も、田中も、岡田も、とにかく美味しそうに食べる、食べる。「本当に美味しいと芝居も変わってくると思うんです」とプロデューサーが語るように、「カット!」がかかると「おいしい〜」という言葉が漏れてくる。皿を見ると、毎回料理ががっつり減っている。「せんるいさんの料理はどれも美味しいので、料理のシーンの撮影日は、俳優部はお弁当を食べないんですよね(笑)」。スタッフいわく相当美味しかったそう。

また別の日。ひとり暮らしを始めた優子が久々に森宮を訪ねるシーンでは「手伝ってもいい?」と、優子と森宮が並んでキッチンに立つ。同じリズムで、同じ動きで、野菜を刻むそのシーンは、何気ないなかに2人が親子として過ごしてきた時間を感じさせる大事なシーンだ。キッチンの棚には様々な調味料が、リビングの棚にはたくさんの料理本が並び、そんな家の風景からも森宮さんの優子への愛情が伝わってくる。

キャラクターを掘り下げて創り上げた4つの家
優子、みぃたん、梨花をつなぐ美術と衣装とキーカラー

この2つの物語には4つの家が出てくる。それぞれの特徴を活かした美術は「どうしても女性の視点を活かした空間にしたい」というプロデューサーの希望で、倉本愛子に任された。『怒り』で日本アカデミー賞優秀美術賞を受賞した美術監督・都築雄二のもとで経験を積んだ倉本は、キャラクターを掘り下げて美術に反映させることに長けている。例えば、水戸と結婚してみぃたんの母親になった梨花が、みぃたんの部屋をカラフルで可愛いインテリアでコーディネイトするシーンなどは、壁紙から小さな雑貨まで梨花の美意識が炸裂するセットになっている。2つの物語が展開するなかで、観覧車のオブジェやカメのぬいぐるみなど、どちらの物語にも共通して置かれたアイテムがあり、それらはこの物語が内包する〈嘘〉と〈秘密〉に繋がっており、2回目に観る観客の楽しみも用意されているので、2回目はオブジェにも注意して観てほしい。

美術やピアノ演奏の「花の歌」と同様に、衣装のなかにも2つの物語を繋ぐアイテムが用意されている。衣装で目を引くのは何といっても梨花の衣装だろう。みぃたんに初めて会ったときは真っ赤で艶やかな色を選んでいた。みぃたんの誕生日会はオーガンジー素材に花柄の刺繍をあしらったワンピース。普段着にはならないような洋服も、石原だと妙にしっくりきてしまう。ほかにもサイズの違うドット柄を上下で組み合わせたスタイルなど、どれも華やかだ。一方、優子は梨花ほど派手さはないものの、高度な柄や色の組み合わせのスタイリングが多い。

そして、衣装にも〈嘘と秘密〉が隠されており、キャラクターが身に着けている衣装の色にも注意して観てもらえると、また違った楽しみ方ができるかもしれない。ウェディングドレスも何着か登場し、なかでも水戸と梨花の結婚式のドレスは桂由美が手掛け、値段がつけられない希少なドレスだった。

撮影期間
2020年10月20日〜2020年11月26日
話し手
前田哲 監督
田口生己 プロデューサー
飯沼伸之 プロデューサー
白石裕菜 プロデューサー
古林茉莉 アソシエイトプロデューサー
聞き手・文
新谷里映 ライター