・映画の感想
映画を見て、シャツに中途半端なアイロンがかかっているところにこの映画のこだわりが見えました。お母さんがかけていたという家族体系、いかに母親が家族の中心にアメリカの南部はあったか、ここがしっかり描けていると思いました。この映画は死刑制度を扱ってはいるけれども、制度だけの話じゃない、死刑が良いか悪いかは言っていない、「アラバマ」で「黒人」だからというだけで死刑を宣告された、人間の問題を扱っているんだよ。国は違えど形を変えてこの問題は存在していて、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』だと知的障碍者に罪をかぶせていたけど、日本にもあるんだろうね。
・綾戸さんが見て感じた当時の黒人の行動
教会に行くときにジーンズにもアイロンをあてて「みすぼらしい恰好をしているとホームレスだと思われる」って白人よりも着飾って行く。きれいな格好していくのはキリスト教に失礼だからっていう人がいるけれど、違う。白人に叩かれないためよ。外に出るときはきれいに身支度して行く。これは黒人のDNAに染みついていると感じていて、うちの子なんかもそうだけど、Tシャツもパリッとさせてスニーカーも磨いて外に行くんだよ。
現代の日本でも黒人に対する人種差別を感じることがある。息子がきれいな恰好していないと職質を受けたり、車屋に見に行っても断れたり…知識があまりない分、日本のほうがえげつないと感じることもあるよ。アメリカの場合は知っていて差別しているから、断るにしてもまず「I’m sorry」の一言が入るからね。
主人が私とアパートを探すときに、子供ができたからニュージャージーに引っ越すことがあって、主人に電話してもらおうとしたの。そしたらすごく嫌がって「発音で黒人ってばれるから君が電話してくれ。ニュージャージーは白人が多いから」って言っていた。加えて、主人譲りの南部訛りの英語ではなくてジャパニーズイングリッシュで話せって言うの。黒人だってばれたら終わりなのよ。その事実から何十年か経ってからこの映画を観て、当時は「彼は何を言っているのかな?」と思っていたけれど思い返したわ。主人は赤信号になると毎回車のカギをかけていた。止まった瞬間に襲われるから。
黒人の人たちと私たちとではちょっとした動きが違いがある。身の危険を感じながらというか、染み付いてしまっているものかなと思うのだけど、人の目を気にしながら「行っていいのかな?食べていいのかな?」と行動している気がする。それはアーティストでもそう。気にしながら観察してみると、偉そうにしているディアンジェロでさえどこかおどっとしている「どつかれる、殴られる」と常に思いながら生きていると思う。アカデミー賞などでもそれは感じる。『チョコレート』でアカデミー主演女優賞を非白人として初受賞したハル・ベリーも、受賞スピーチで彼女は本当は黒人初だということを言いたかっただろうけど、女性であるというアイデンティティを前に出したよね。あの時はまるで戦争に勝ったかのような、俳優が取った喜びを超越していた印象が残ってる。
・なぜ人種差別してしまうのか
気質が嫌っているの。黒人を嫌わないと先祖に申し訳ないというような血が流れているのよ。後天的なもので、不思議なヘイトなんだ。別の作品でも「サミーデイヴィスJrっていうのがいてな、おもしろいんだよ!」て白人が話しているシーンがあって、本当は黒人の音楽だったりコメディアンであったり白人は好きなんだよ。でも、それが黒人だから殺さなきゃしょうがないんだよ。CDも聞くし、DVDも見るけどいざ会ったら撃つ。変な感じだけど、それはなぜなら自分たちが連れてきた嫌悪感から来るヘイトだから。「黒人は汚い」と言わないと自分たちの間違いが永遠に間違いになってしまう。
ウォルターが犯人にされた。その時に司法だったりとか一番頼りたい人間みんなが「彼はクロでいい」と決めつける。それがアラバマ。これがニューヨークなら0.1%くらいは助かったかもしれないね。
・マイケル・B・ジョーダンやジェイミー・フォックスの演技について
キャスティングが素晴らしかった。監督はこの初々しいマイケル・B・ジョーダンをよくぞ選んだ!彼が刑務所に面会に行ったとき尻の穴まで検査されるやろ?あの時の恐怖の目、主人に何回見たことか。どこに行っても、何かを触ってしまっただけで泥棒と疑われるんじゃないか?捕まるんじゃないか?って気にしていた。ジェイミー・フォックスもカッコええな!木こりの姿も超似合ってる。時代感出せる黒人だよね!オペラでジャズ歌っていた人と同じとは思えない。
・コメントで「ノーアイロンシャツがエエ」と注目されていた衣装について
シャツがエエ!ってコメントで言ったのは「似合う」ということではなくて。いかに南部のエリートだけれども黒人で、弁護に行くから白シャツは着るけれども胸まではアイロンがかからないで襟だけにかかっている、これがどういう意味なのかってこと。お母さんのもとを離れて男の子一人だから襟までが精いっぱいだったんやろな。これを意識してなのかどうかは分からないけれども、ママの存在の大きさがこのアイロン一つで伝わってくる。当時は黒人のママの存在感は絶大だった。「BIG MAMA」って言うでしょう?白人のママは守られていて偉くない、「大草原の小さな家」みたいに、パパが偉い。黒人のママは全部見ていた。強い女性が多くて働いている人もいたくらい。男は何にもしない。日向ぼっこしかしない。スイカ畑で女房のブラウンシュガーを撒いたら甘いのができるというウソを信じた黒人のパパが「甘くねえじゃねえか!」って撃ち合いになる舞台があるんやけど、それくらい頭空っぽだって思われていた。
映画にブライアンのお母さんが出てくる。お母さんは涙を流しているけど、いくらイイ大学出ていても、アラバマじゃあ意味がないんだ。そこにいるだけで当たり前に有罪になるところになんて行ってほしくないんだ。あんな危険地帯に行ったら死んでしまう。「名門大学出てます!弁護士です!」って書いたって(見た目が)黒いんだよ!アラバマでこの黒いことが死と隣り合わせだってお母さんは知ってるんだ。働けばお金はもらえるけど、生きているだけで犯人にされるという性を持った土地で、ウォルターとブライアンは無罪を勝ち得る。ここがこの映画のポイントやな。
・この映画の注目ポイント
一番言いたいのは、冤罪だけの映画じゃないということ。シロなのにクロって言われてしまう、それはなぜなら黒人だから。もし舞台がニューヨークだったらシロになるかもしれないけど、この映画はアラバマだから。当時は黒人はめんどくさいから消しちゃおう、政府も警察もアラバマには入って来るなという治外法権みたいな感じあったと聞いている。だからアラバマにいたら黒人は終わりなの。『グリーンブック』の時も、助けを大統領にもとめていたでしょ?黒人であれば、音楽家だろうが科学者だろうがアラバマは犯人になる土地なんですよ。
そして、この映画は努力で勝利を勝ち取った、諦めなければ道は開けるというだけの映画じゃない、だってブライアンは努力の結果弁護士になっているじゃない?その先の物語として、80年代のアラバマを舞台に、アメリカの闇を描いている。いまだにあるんだよ!って。『黒い司法 0%からの奇跡』は無罪だとか有罪だとかっていうことを超えて、今アメリカで実際に起こっている、私たちの知らない事実があるんだ!って教えてくれる。この作品を観ることはどんなニュースを見ることよりもアメリカに近づくことになるよ!
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綾戸智恵(ジャズ・シンガー)
幼い頃からジャズとハリウッド映画に囲まれて育つ。17才で単身渡米。1991年に帰国後、ジャズ・クラブで歌い始める。1998年に40歳でデビュー・アルバム『For All We Know』をリリース。2001年第51回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2003年紅白歌合戦出場。これまでに売り上げたCDは100万枚を超える。
2014年に所属会社から独立し有限会社まいどを設立。CDリリース、LIVEの他に講演会やTV、ラジオへの出演など様々な場所で活動。笑わせたり、泣かせたりのトークを交えながら、ジャズを中心にゴスペル、ロック、ポップスなど幅広いレパートリーをとり入れたステージは多くのファンを魅了している。2020年4月11日(土)には新宿文化センターにてコンサート、CHIE AYADO LIVE 2020~DO JAZZ Good Show!~(ドゥ・ジャズ・ヨイショ!)を行う。
オフィシャルサイト
https://www.chie-ayado.com/