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NEWS

2022.12.24
『母性』感想文掲載第一弾!

メディアプラットフォームnoteにて開催していた映画『母性』の感想募集企画。この度優秀者2名が決定し、お二人の感想文を2週連続で『母性』公式サイトに掲載します!
1週目となる今回ご紹介させていただくのは≪Hikaru≫さんの感想文。
映画をきっかけに、 “母性“について深く考えるようになったというHikaruさん。ご自身の経験と重ね合わせ書き綴ってくださった素敵な感想文となっていますので、是非ご覧ください。
残り一名の方は来週掲載です!お楽しみに。

娘が母になった日 -母性について- / Hikaru

「これが書けたら、作家を辞めてもいい。その思いを込めて書き上げました」

あまり本を読まない私でも、名を知るほどのベストセラー作家、湊かなえさんが語った言葉です。本作のテーマは「母性」。最近ではよく「母性をくすぐる人だね。笑」とか「母性湧いちゃってるじゃんw」なんて言葉を、20代の私は耳にします。

私と、この映画の出逢いは、東京国際映画祭でした。ジャパンプレミアという華々しい大舞台で、豪華キャスト陣が語った思いを知って、私は深く「母性」について考えるようになりました。

とは言え、私は男です。20代の男性です。

映画『告白』を学生の時に観て、湊かなえさんの描く世界に、テーマを単なる善悪で片づけない作風に魅了された一塊のミーハーです。

正直言うと、私はこの映画を、手を広げて、声を大にして「理解できた。」とは言えませんでした。映画祭の帰り道、私は鑑賞後のモヤモヤを1秒でも早く消し去りたくて、大学からの友人T君に電話をしました。

私「いやぁ、予告から期待してて、ワクワクしながら、あえて原作も読まずに観たんよね。でも、実際分かるようで分からなかったんよ。笑」

そんなことを言った気がします。うまく言葉に出来ませんでしたが、当時のモヤモヤを的確に伝えた最善の言葉だったと思います。

私「娘のままでいたい母・ルミ子と、母に愛されたい娘・清佳のお話なんやけど、最初ミステリーで始まるんよね。で、中盤からヒューマン全開まっしぐらなんよ。主題歌もJUJUさん完全泣かせにきてるし、予告でジャンルはどっちなんやろーって思ってたら、割とどっちもやってん。んで、ヒューマンなら泣けると思うやん?それが、え!それで良いのー!?って終わりで、さすがイヤミスの女王と呼ばれる湊さんが書いた原作なだけある…特に母と娘の感情が共感出来やんのよね、芯から。」

私は評論家気取りで語りました。
(人によって判断基準は違うでしょうが、私にとって「クリエイターであること」、何かを一生懸命、何かしらの形で伝えてくださる発信者は、お金持ちだとか、良い大学出身だとか、有名な会社に勤めているなんかよりも尊敬順位が高いので、絶大な敬愛を込めながら・・・)

T君「なるほどね。それって君が「男」だからなんとちゃう?」

なんて単純なことを忘れていたのだろうと思いました。当たり前すぎて考慮していなかったけれど、私に彼女らの考えが、思いが、芯から理解できないのは「性別」によるものなのか?そう思いました。

と同時に、男だからこそ、私だからこそ、母性について考える機会がなかったかと言うと、そんなことはなかったことに気がついたのです。

母性について考える
私には母がいて、母にも母がいます。
昔話をさせてください。
父と母は隣の村で出逢いました。母が22歳の時です。23歳で結婚し、24歳で私を産みました。

私が8歳の時。共働きの両親の代わりに、私の面倒は、いつも父方の祖母が見てくれていました。学校から帰ると「おかえり。」と言って、スーパーで買ってきてくれた甘くないお菓子と、甘すぎる焼き芋に、ノシイカなんかをくれました。

母と父方の祖母は当時、あまり仲が良くありませんでした。細かいことは分かりませんが、言葉ではない嫌な間や、不穏な空気を子供ながらに私は感じることがありました。今思えば、外で働いている「母」を「祖母」は快く思っていなかったのだと思います。

ある日、母が消えたことがありました。私たちの住む家から居なくなったのです。特に何かがあったかと言うと、そうでもなかった日だと思います。ただ、私は幼いながら「捨てられた」という感覚を覚えたのを今でも覚えています。それはもう鮮明に。夫を置いて、息子も連れず、彼女は、彼女の産まれた家に帰っていました。私たちの家から、彼女だけの家に帰っていました。

悲しくて泣いたことだけを覚えています。悔しくて喚いた時の感情だけが明らかでした。

「いつ帰ってくるの?」

朧げながら、そう母に問うたと思います。

どうやら父親とケンカをしたらしいのです。
そしてその原因が父方の祖母。

お父さんに謝るように促すと
「知らん。ほっとけ。」と言われました。

絶望とやるせなさに支配されながら、私は孤独を感じていました。

数日後、母が帰ってきました。曇りひとつない笑みで、いつもと変わらぬ母を、私は見ました。

この映画を観て、私はこの日のことを思い出しました。もしかすると、母はあの日、実家で過ごした数日に「娘」から「母」になったのではないか。そう思いました。母の母が、母になにを伝えたのかは分かりません。母の父や、母の兄が何を言ったのかは知りません。ただ私が知る限り、その日以降、母は強くなったと感じます。思ったことを言う人になりました。塞ぎこまず、相談するような人になりました。

23という若さで結婚し、24で私を産んだ母は、当時まだ「娘」だったのかもしれません。いつもと変わらない笑顔で、私を抱きしめてくれた母は、もしかすると母性を得た後の、「娘」ではない「母」としての「母」だったのかもしれません。

私は今、24です。
母が私を産んだ歳になりました。


今でも私は、母を母として尊敬します。若くして私を身籠もり「愛能う限り」、私を大切に育ててくれた母。娘が母ではなく、娘のまま居続けたい気持ちも、娘が母に、母として愛されたい気持ちも、ごく自然なことだと思います。誰だって、誰かに愛されたいと思うのはあたりまえなのだから。

私は、息子としてそう思います。

素敵なご感想ありがとうございました!
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https://note.com/samahika