ドキュメント

𠮷田恵輔 Keisuke Yoshida

  • 『空白』の延長線上に生まれた物語

     2020年4月、𠮷田恵輔監督の『空白』が愛知県・蒲郡でクランクアップしたのは、新型コロナウィルスの流行が深刻化し第一回目の緊急事態宣言が出された翌日だった。何とか撮り切ったものの、編集作業は延期となり、約一ヶ月のステイホーム期間が始まった。宙に浮いた時間で𠮷田監督は次回作の脚本に取りかかる。

     構想は『空白』のときからあった。『空白』のクランクアップの日に走っているミキサー車を見て、ミキサー車の運転手の青年を主人公にするというアイデアを思いついた。その運転手の青年が何を背負って生きているのかということに目を向けた𠮷田監督は、彼が預かっていた姉の子供が行方不明になってしまうという背景を思いつき、物語の軸は姉のほうにシフトしていく。

     この脚本の骨子をスターサンズの故・河村光庸プロデューサーに話し、沙織里たちを取材するマスコミの存在にも触れたところ、「テレビ局を描きたいと思っていた」と河村プロデューサーが興味を示す。社会派と目される作品を数多く送り出してきた氏らしい着眼点だ。𠮷田監督もまた、『空白』で描ききれなかったマスコミの描写を掘り下げたいと思っていたことから、両者は三度目のタッグを組むことになった。

    • 想定外の扉を開ける挑戦がしたかった

       当初、沙織里は石原さとみを想定して書かれたわけではなかった。𠮷田監督は過去作で、演技経験が浅かったり俳優を本業としていないなど、演技のポテンシャル自体が未知数のキャストからもその魅力を引き出してきた。しかし石原のように、俳優としてのネームバリューと十分な実績を持ちながら、𠮷田監督にとっての可能性が未知数という存在は初めてだった。なぜ今回はその石原をセンターに起用する決断をしたのか。「挑戦したいという気持ちが一番大きかったかな。メインスタッフはいつもほぼ同じメンバーで安定しているし、自分の世界観に合った役者を呼べば、思った通りの映画ができる自信はあった。でもそれだと自分の予想を超えられない。俺が撮ってきたのは日常でよく見るような女性たちだから、華やかでリーダー的な印象の強い石原さんはあんまり俺の映画っぽくないと思っていたけど、あれだけ第一線でやってきた人と組むことによって想定外の扉が開きそうな気がした。結果的には大きな賭けに勝ったなと思っています」

       6年前に石原からの猛プッシュで実現した出会いの場では「自分の意志をはっきりと言うタイプで、自信がみなぎっている人に見えた」という。しかし蓋を開けてみると石原は、𠮷田監督いわく「弱りきって迷走した状態」で現場に現れた。「自信の欠片もない、ただ勢いだけはあるから、すごく沙織里っぽかった」というその姿が本作の運命を決定づけることになる。

    • 制御不能の主演俳優

       𠮷田監督は『ミッシング』での石原を、同じことが二度とできない「動物みたいだった」と評する。「俺が伝えたことに対して、わかりましたと言いながら、次のテイクでは全然違うものを出してくる。最初は驚いて戸惑ったけど、それが面白いと思ってOKになったシーンもいっぱいあります」

       それが顕著にあらわれたのが、美羽が見つかったという知らせを聞いて警察署の階段を駆け上がってくるシーンだ。最初のテイクで石原は涙目になりながらやって来たが、そのアクションがややリアリティに欠けると感じた𠮷田監督は、「気持ちがぐちゃぐちゃになって、自分が何をしているのかも認識できなくなっている感じ」と伝え、リテイクのスタンバイに入った。だが石原は階段の下で気持ちを作っており、なかなか姿を見せない。そしていざ本番のカメラが回ったとき、焦って動転した沙織里が現れるだろうと思った𠮷田監督の予想は鮮やかに裏切られた。「美羽はどこですか?」と飛び込んできた石原は、喜びと安堵、一刻でも早く娘に会いたい気持ちが入り乱れ、舞い上がったような状態になっていた。それを目にした𠮷田監督は思わず「ああ、壊れたんだ!」と思ったという。「石原さんは悩んだ結果、正解を見失って、何かを降ろしてきたんだろうなと。あれを見た瞬間、怖かったけど、思わずOKと言った。演技とは思えなかった。あれは石原さんにしかできないことでした」

    • 「わからなさ」と闘いながら目指したゴール

       𠮷田監督は基本的に自分で書いた脚本を監督している。しかも長編13本中10本がオリジナル作品というのは驚異的な数字だ。これだけの脚本を自ら書き下ろして撮り続けている監督は他に類を見ない。自身も「監督よりも作家としての気持ちのほうが大きい」と語る。「一年のうち監督として現場にいるのはほんのわずかで、ホン(脚本)を書いている時間のほうがずっと長い。一人ぼっちで、孤独な作業だし、自分の書いているものが本当に面白いのかどうか、そういう不安はいつもある」。『ミッシング』を撮影中の石原は、行き先のわからない不安とひたすら闘っていたが、その不安を誰よりも理解していたのは𠮷田監督だった。

       監督も主演俳優も正解がわからない中で、お互いに試行錯誤しながらゴールに近づいていく作業は、エモーショナルであると同時にとてもクリエイティブな刺激に満ちていた。撮影も終盤に近づいた頃、その集大成となるようなワンシーンがあった。それは一台の車の中で、圭吾が罪の意識と苦しい胸の内を吐露し、つられるように沙織里も気持ちをぶつけるシーン。運転席に森優作、助手席に石原が座り、数テイクを回したが、どうも上手くいかない。「台本で読んだときはこんなに難しいと思っていなかったんです。血のつながった家族の弟と感情を出して本音を言い合う。すごい好きなシーンだったんですけど、いざやってみたら監督に“ドラマチックすぎる”と言われて、どうすればいいのかわからなくなってしまいました」(石原)
       美羽を失った沙織里は散々感情を吐き出し、さらに二年の月日が経った後のシーンなので、気持ちに任せて暴走するだけでは同じことの繰り返しになってしまう。「今のだと劇的で、どうしても作られた感じに見えちゃう」「爆発が続くと勢いに飲まれて一番大事なところが流れてしまうから、もっと圭吾の余韻が見たい」と𠮷田監督。石原が違和感を覚えたセリフをカットしたり、泣き方や圭吾を叩く塩梅まで、粘り強くニュアンスの調整を重ねる。「美羽に会いたい」という思いは、沙織里がずっと胸に抱いてきたものだが、今では口にすることもできなくなっていた中で、最も意外な人物である圭吾からそれを聞かされた感動があるはず--。
       リテイクが続く中で、泣きながら圭吾をののしる沙織里に「もうここで顔を背けちゃおう」と𠮷田監督が提案し、カメラと反対方向の窓の外を向いた石原の顔が見えなくなった。するとどうだろう。沙織里は今、一体どんな表情をしているのか。これまで以上に豊かに想像してしまう。見えないがゆえに、隣の圭吾の姿を通してその胸中を思い、切なさが増す。これこそが正解だ、と確信するに相応しい瞬間だった。
       ほどなくしてOKを出した後、慌ただしく動くスタッフに紛れて、𠮷田監督はそっと目頭を拭っていた。

    • 監督の心を揺さぶった石原さとみの熱量

       思えば𠮷田監督は『ミッシング』の現場でよく泣いていた。「気づいたら泣いてるのよ。自分の思い描いていた通りの芝居だったら、安心はするけど、一回観た映画をもう一回観ている感覚。でも今回は目の前で起きていることを生でぶつけられる感じがして、それにものすごく心を揺さぶられた。石原さんのあの熱量には、初めてこの映画を観る人たちも、みんな心揺さぶられるんじゃないかな」

       𠮷田監督はデビュー以来、「小津安二郎ほど徹底はしていないけど、どの作品でも金太郎飴みたいに同じことを敢えてやろう」としてきた。そうして自分のカラーを守り、独自のスタイルを築き上げてきた𠮷田監督にとっても、異分子と思われた石原を主演に起用することは大きな冒険だったが、かつて『ヒメアノ~ル』で映画俳優としての森田剛の魅力を覚醒させたように、『ミッシング』もきっと石原さとみの第二章を飾る一本となるはずだ。
      「クランクインして一週間ぐらいは、これは大変だなという気持ちが強かったし、自分の中で苛立ちもあったけど、日を増すごとにだんだん面白くなってきて。気がついたら石原さんに飲み込まれてファンになっていた。僕にとっても幸せな現場だったし、一ファンとして、これからも色んなことに挑戦して欲しい。これまではキャラものとかCM的な美しさを主に求められてきたかもしれないけど、石原さとみって本物だったんだ、と世の中がそのポテンシャルに気づいてくれたら嬉しいです」

石原さとみ Satomi Ishihara

  • 石原さとみの挑戦

     「どんな役でもいいから、𠮷田さんの映画に出たいです」
     すべては石原さとみのこの一言から始まった。『ミッシング』の撮影から遡ること6年前、2017年。すでに国内では俳優として確固たる人気とポジションを築いており、順風満帆に見えたキャリア。だが石原本人は現状に満足するどころか、自分自身に焦りを募らせていた。「どこかで私自身が自分に飽きてしまっている感じがしていました。そして私が自分自身に対して“つまらない”と思っている部分は、おそらく世間からも同じように思われているんだろうなと。そんなとき、𠮷田監督の映画と出会ったんです」

     石原が最初に触れた𠮷田作品は『さんかく』(10)だった。同棲中のアラサー男女が15歳の女子中学生(彼女の妹)に振り回される三角関係の成れの果てを描いた一本。「生々しくて、キュンとくるけど、醜くて。ドキュメンタリーみたいだけど、エンタメ性もあって、すごく好きな作品だったんです」。そこから𠮷田監督の沼にハマった石原。とりわけ目を引かれたのは『ヒメアノ~ル』でシリアルキラーを演じた森田剛の姿だった。「それまで持っていた森田さんのイメージが本当に覆されたんです。『さんかく』と比べると、ジャンルの振れ幅が大きすぎるんですけど、観終わった後の感覚はどこか似ている。何なんだろうこれは、と。自分がそれまで携わってきた作品と、この監督の作品は、全然違う。そう思って異常なほどに惹かれていきました」

     この映画を作っているのはどんな人なのか。知りたい--𠮷田監督とつながるために、石原は自力で伝手を頼って対面を果たし、「私を変えて欲しいんです」とありったけの思いをぶつけた。それから3年後。石原のもとに、『ミッシング』の脚本が届いた。

    • 緊張に満ちた衣装合わせ

       2023年3月、都内某所。『ミッシング』の衣装合わせの場に石原が現れた。脚本の完成から3年。2020年に結婚した石原の出産を待つ形で本作は始動した。

       出演を依頼されたときは「叫ぶぐらいに嬉しかった」と語ったが、この日の石原に笑顔はなかった。𠮷田監督と向き合って沙織里について話し合う顔は緊張でこわばっている。衣装スタッフが用意した様々な候補の中から、味気ない紺のフーディーにデニムパンツの組み合わせが沙織里の基本スタイルに決まった。美羽を失ってからの沙織里に、自分の服装を気にする余裕はないはずだ。石原は自前のメイク道具を使って、ヘアメイクのスタッフと相談しながら自分でいくつものパターンを試していく。脚本に「茶髪メッシュ」と書かれていたカラーは、色むらの目立つブラウンに染まっていた。

       その日の石原の表情は終始晴れず、スタッフルームも静かな張り詰めた空気に包まれたが、私服に着替えて現場を後にする背中には、沙織里に臨む不安と覚悟が滲んで見えた。

    • 激動の日々の始まり

       いよいよ迎えたクランクイン。初日は沙織里と豊の暮らす一軒家で、失踪する前の美羽と過ごす時間からスタートした。しかしその後は一転して、事件後に書き込まれたネットの誹謗中傷コメントに沙織里が怒りを顕にするシーンへ。いざ本番のカメラが回ると、一発目から涙目で鬼気迫るテンションの芝居で挑んできた石原。カットをかけた𠮷田監督は「強い怒りはもっと後にやってくるから」と、気持ちを抑えるように指示を出す。このシーンはまだ全体の序盤に過ぎない。沙織里の感情のピークはまだまだ先にあるはずだ。その基準を定めるためにも、1カット目の芝居は丁寧に時間をかけて感情レベルを調整していく。結局、この日の全カットを撮り終えても浮かない様子だった石原。帰り際に𠮷田監督から「まだモヤモヤしてる?」と声をかけられ、「わからない」と素直に吐露すると、「大丈夫。俺もわからないから。みんなで探しながらやろう」と𠮷田監督。こうして波乱の日々が幕を開けた。

    • 転機となったロングインタビュー

       失われた日常に疲弊した沙織里を演じるため、撮影中の石原はわざと添加物の多い食事を摂り、ジム通いを控えて体を緩めた。髪はシャンプーではなくボディソープで洗い、手入れの行き届かないパサつきが、くたびれた佇まいを醸し出す。頭の後ろで一つに結んだ髪型は、ヘアゴムの上から毛束が飛び出ていたり、顔まわりにボサついた前髪や乱れたおくれ毛が散らつくなど、石原のこだわりが貫かれている。石原の魅力である唇も、わざとリップクリームを塗らないようにして、常に荒れた状態だった。

       クランクインから2週間ほどが経ったある日、砂田たちが沙織里の家に来てロングインタビューを撮るシーンがやって来た。実は𠮷田監督が本作の撮影で「一番のピークに想定していた」のがこのシーンである。沙織里が自身の胸の内を真摯に訴えかける瞬間であり、映画の見せ場でもあるだけに、少しでも嘘っぽく見えてしまうことは許されない。「石原さんも俺もここが一番の勝負だなとお互いわかっていた」と𠮷田監督は言う。

       その言葉通り、撮影は難航した。「今のだと感情を作っているように見える可能性もある」「今度は若干興奮しすぎだったかも。もう少し柔らかさを取り戻して」「ひとつ前の空気感がよかった」「ちゃんと喋ろうとすると、映画の中では芝居っぽく見えてしまう」。𠮷田監督はカットをかけるたびに石原のそばへ寄り、一回一回言葉を尽くして自分の求めることを伝え、辛抱強くテイクを重ねていく。芝居が固まる前の自然なドキュメンタリー感を好み、早撮りを得意とする𠮷田監督の現場では、滅多に見られなかった光景だ。一方の石原は、必死に正解を探ろうとするものの、核心がつかめないのか、返す言葉は少ない。それでも𠮷田監督の要望に応えようと悩みながら、毎カットごとにしっとりと涙を流すのは、さすがとしか言いようがなかった。そして全てのカットにOKが出たとき、𠮷田監督は「素晴らしかった!泣きそうになった」と絶賛して石原を労った。

    • 沙織里の生き様に刻まれた石原の勇気

       『ミッシング』の撮影現場での石原は、自分がわからないということや、疑問に思うことを、愚直なほど正直に監督にぶつけていた。カメラの前での感情のコントロールのできなさ、自分がどこへ向かっているのかのわからなさと向き合い、闘っている石原の姿は、劇中の沙織里にそのまま重なって見えた。デビュー20周年を迎え、これだけのキャリアを築き上げた身でありながら、不安であることを取り繕いもせず、そのままの自分を投げ出す。沙織里の生き様は新たな挑戦の軌跡であり、それを目の当たりにすれば、石原さとみという人の勇気と人間性に魅了されずにはいられないはずだ。

       後に石原は「ずっと自信がなかった」と明かした。「20年近くお芝居を続けてきたけど、今も監督の求めるものができているんだろうかと不安になることが多々あって、それをすぐに返せていないのかなと思うと申し訳ない気持ちになるというか。自分で望んでここに来たんですけど、すごく鍛えられていて、お金を払ってでもこの時間を買いたいぐらいに得るものがたくさんある。心身ともに削られているのに満たされていて、それがありがたくて。もっともっと成長したいなと思うんです」

    • 今改めて映画の楽しさを知った

       撮影も終盤に差しかかり、劇中で美羽の失踪から2年後のシーンを撮るようになった頃、石原に変化が見られた。「徐々にごはんが美味しく感じられるようになったり、美味しいものを食べたいと思えるようになってきて。それまで現場への行き帰りはずっと黒い服だけ、同じ服しか着てこなかったんですけど、白いTシャツを着始めたり。自然とそういう気持ちになったんです」。それは劇中の沙織里が、よその子供が発見されたことを心から喜び、自分にとっての光を見出す過程に沿っているかのようだった。

       どんなに暗くても明けない夜はない。クランクアップ後、髪をタイトにまとめ、スマートな私服に身を包んで現れた姿を見た𠮷田監督が「ああ、石原さとみだ」とつぶやくと、石原は清々しい笑顔で撮影現場を後にした。「これまで映画を観ることは私の中でストレスだったんです。勉強だと思っていたから、ちょっと苦しかったんですけど、最近プライベートでも映画を観るようになって。映画を撮影すること、映画を観ることの楽しさと面白さを知ったので、ここから人生が楽しみですね。もっと映画をやりたいし、𠮷田作品にまた絶対に出たい。今そう思えていることに本当に感謝しています」