PRODUCTION NOTE
『TENET テネット』の撮影で、クリストファー・ノーラン監督と製作チームは、三大陸にまたがる7カ国を訪れることになった。それはアメリカにはじまり、イギリス、東欧のエストニア、イタリアのアマルフィ海岸、そしてインド、スカンジナビアのデンマークとノルウェーという7カ国。大規模な撮影舞台裏に迫る。
エストニア
前代未聞の逆行カーチェイス
『TENET テネット』のアクションは、重武装チームがキエフのオペラ劇場になだれ込む序幕のシーンから始まる。このシーンは、エストニアの首都タリンにあるコンサートホール、リンナハルで撮影された。この広大な会場はもともと、当時、旧ソ連の一部だったエストニアにおいて、1980年のモスクワ五輪のために建設された。美術のネイサン・クローリーはこう語る。「バルト海を見下ろす場所に位置し、巨大で威厳に満ちている。だが、建物はきれいに維持されておらず、10年ほど放置されたままになっていた。私たちはすべてを片付け、ステージを建て直し、コンクリートを磨き上げ、年月を重ねて歪んだ外壁を作り直した。膨大な量のガラスを取り換え、照明を直すなど、多くの時間を費やした観客席やカーペットは、全部そのまま残されるだろうね。タリン市が保存してくれることを願うよ」。
最も困難を極めたシーンのひとつが、タリンの中心にある交通量の多い高速道路ラーニャ・ティーで繰り広げられる入り組んだ強奪シーンだった。そのシーンでは、車は順行と逆行の両方向に動く。最初のステップは、高速道路の長距離区間を使用する許可を得ること、さらにその道路を数週間続く撮影のために確保することだった。製作総指揮のトーマス・ヘイスリップは「エストニアで最も人口密度の高い地域の中心部にある6車線の高速道路を、8キロにわたって封鎖した」と説明する。
動きがあまりにも多いため、撮影には入念な計画が鍵となった。アンドリュー・ジャクソン率いる視覚効果部門が、シーン全体を事前に視覚化したプリビズ映像を作成した。「カーチェイスでは、順行する動きと逆行する動きの両方が存在するが、ある時点でこれらの異なる時間軸が互いに交差し、影響し合う。だから、私たちはシーンをパズルのように解いていく必要があった。アンドリューのチームがコンピュータ上で、俯瞰図から、ある人物の視点に至るまで、さまざまな瞬間のあらゆる場面を想定した構想を練り上げてくれた。」撮影のホイテマが詳しく説明する。
ロサンゼルスから20人のトップドライバーを集め、スタントの中核を成すチームを形成した。『ダークナイト』でジョーカーのトラックを見事に反転させたジム・ウィルキーをはじめとして、その多くが数々のノーラン監督作品に携わってきた面々だ。「車を逆行させるなら、時速80~100キロくらいで走行できる実際の車でなくてはならないという断固とした考えを、初期のテストからもっていた。何度か練習は必要だったけど、実際にやり遂げたよ」とスタントコーディネーターのジョージ・コトルは語る。安全性に少しでも懸念がある場合は、スタントチームが車を運転した。コトルはこう説明する。「中心人物たちの車の内部か外側にリグを装着し、スタントドライバーが車の屋根や隠れた場所に括りつけられた小さなケージのようなものに入れるようにした。つまり、俳優が運転しているように見えるが、実際にはスタントドライバーが操縦しているんだ」。
エストニアで撮影したロケーションには、オスロにある自由貿易港のロビーの代役を務めたタリンのクム美術館、タリンの自由貿易港に見立てられた倉庫の内部、列車の車両基地、そして主人公・名もなき男がエストニアに到着したときの港なども含まれている。
イタリア
邪悪なセイターを象徴する豪華ヨット
イタリアでの主な舞台セットは、アマルフィ海岸沖の紺碧の海に浮かんでいた。アンドレイ・セイターが拠点とする豪華なスーパーヨットだ。
マリンコーディネーターのニール・アンドレアは、『TENET テネット』に登場するさまざまな船を確保する役目を担った。そして見つけたのがプラネット・ナインという名のヨットである。全長73メートル以上もあるこのヨットには、6つのデッキがあり、専用のヘリポートもある。「いくつかのシーンで非常に重要な役割を果たすヘリポートが、この船を気に入った理由のひとつだよ」と美術のクローリーは話す。「セイターがデザインし、作り上げた彼の宮殿だ。彼の逃げ場であり、隠れ家でもある。この船の色や角張った輪郭、軍事的雰囲気が、邪悪で危険なイメージを映し出し、観客をアンドレイ・セイターの心のなかに導いていくんだ」とケネス・ブラナーは語る。そのイメージを増幅させるため、クローリーはプラネット・ナイン号の後尾に、ある特徴的な装備を取り付けた。「半軍事的な雰囲気を与えるために、ロケットランチャーを加えた。まるで『この船に近づくな』というようにね。また、この男を捕まえることはできないと思わせるための装飾だよ」。
ヨットでの重要なシーンはベトナム沖の海を舞台にしていたが、プラネット・ナイン号を東南アジアまでクルージングさせるのは非現実的だ。その代わりに、アマルフィ海岸をベトナムの代役に立てたのである。「いくつか崖もあり、近隣地区にはイタリアの建築物もない。だから、そこをベトナムの代役にできた。浜に小さなドックを建て、いくつかのイタリアの釣り船の表面を変更して、ベトナムの釣り船に見えるようにした。ベトナムへようこそという感じだね」とクローリーは微笑みながら語った。
アマルフィ海岸では、主人公・名もなき男が、初めてセイターと出会うレストランのシーンなど、ラベッロの町でも撮影がおこなわれた。
イギリス
時速90キロ以上のスピードを出す高速艇F50
セイターは最新式F50フォイリングカタマランも2艇所有している。F50の独特な見た目をつくる帆の高さは24メートル、飛行機の翼とほぼ同様の硬さがあり、周りに吹く風を曲げながら推進力を作り出す。船体の下にあるいくつかの水中翼が船を水から引き揚げることで抵抗力を下げ、高速で走行する。F50は50ノット以上、時速90キロ以上のスピードを出せるため、操縦するには強靭な神経と熟練した操縦技術が必要となる。高すぎれば転覆し、低すぎればスピードを失ってしまう。
“主人公”が接触してきたあと、セイターは所有するF50の一隻に彼を乗せて連れ出し、もう片方のF50とレースをする。演じる俳優にとっても、それはスリル満点の乗船だ。「強烈だったよ。飛んでいるみたいなんだ。『冗談だろ』と思ったね。でも、ノーラン監督とホイテマが僕たちを撮影しながら、真ん中に紐でつながれているのを見たときに、怖気づいたりできないと感じたよ。彼らはどの瞬間も楽しんでいた。」とワシントンは語る。デビッキが言葉を添える。「私たち3人は船が海上に持ち上げられたとき、船の側面から吊るされていた。あんな感覚は初めてだった。とても楽しかったけれど,ものすごく怖かったのも確かよ。でもそれがノーラン作品の贈り物のひとつなの。行ったことも、身を置いたことも、目撃したことさえない状況に放り込まれるの」。
F50の操縦には優れた能力が必要なため、製作陣はSailGPのチームに連絡を取った。だが彼らはレース巡業の真っ最中だった。『TENET テネット』がアマルフィで撮影する間、彼らはニースでレースをすることになっていた。だが幸運にも、彼らとはイギリスのサウサンプトンで合流することができた。それは世界最大のセーリングレースのひとつ、カウズウィークのすぐあとだった。彼らはその後のレースの準備のため、カウズウィークで使ったボートを修復しなくてはならなかったが、それにもかかわらず撮影のために限られた時間を提供してくれたのである。
最高速度で走行するF50についていける船はいない。そこでノーラン監督とホイテマは、通り過ぎるF50を撮影するために、ヘリコプターをチャーターし、アームにIMAXカメラを搭載したカメラ用ボートも使用した。クローズアップショットやセリフのシーンのために、製作班はバックと呼ばれるF50船体のレプリカを組み立て、大きめの船につないだ。ノーラン監督とホイテマ、カメラスタッフがつながれた船で撮影する間、俳優たちはバックのなかで演技をした。
イギリスでは、ロンドンでもいくつかのシーンが撮影された。セイターとキャットの息子が通う私立学校で、主人公・名もなき男が、キャットと初めて出会うシップリーのオークションハウス、マイケル・ケイン演じるマイケル・クロスビーと“主人公”が会うメンバーズクラブなどがある。
インド
20数階建てビルへの逆バンジージャンプ
雨季が終わるころ、製作陣、キャスト、スタッフたちは、インドのムンバイに到着した。主人公・名もなき男とニールが、重要人物との接触を試みるため、20数階建ての警備が厳重なペントハウスに接近するシーンの撮影。中に入るには、外から行くしかない。
「到達するためには約76メートル上がらなくてはならない。唯一の方法はトラス構造を建てることだった」とスタントコーディネーターのジョージ・コトルは語る。ビルの屋上に建てられた非常に頑強なアルミニウム製のトラス構造は、俳優たちを吊るすためのラインをしっかりと支えた。ハーネスを付けて屋上にうつぶせの状態で横たわる。彼らのハーネスは高速巻き上げ機とつながっている。慎重にテストがおこなわれた。「そしてボタンを押した。するとふたりは、ビルに最初に接触する21メートル地点まで飛び上がった」とコトルは説明する。「そこに到達した時点で、もう一度ボタンを押し、彼らを着地点まで飛ばす。ジョン・デイビッドとロバートもテイクオフの最初の部分をやったが、最初の6メートル地点で彼らを止めたんだ。だから画面から消える人物は本当に彼らなんだ。彼らがそこまでやるのを見て、感動したよ」。
名もなき男とニールは入ってきた方法で立ち去る。ふたりはテラスの横をバンジージャンプで降りるのだ。ワシントンとパティンソンは、下に用意された安全網に飛び込んだ。準備と安全対策を完全に信頼していたが、それでも最初のジャンプは恐ろしかったようだ。「今は笑っていられる。でも僕はものすごく緊張していたよ。半階下に着地用のベッドが置いてあった。でも飛び降りることに変わりはない。それ以降、僕は何でもこなせるようになったよ」とワシントンは微笑みながら告白する。パティンソンも同意する。「僕たちがしたのはミニジャンプだったとしても、同じワイヤーにつながれ、20階下を見ているから、感覚的には大ジャンプと同じなんだ。恐ろしかったけど、楽しかった。最高の瞬間だ。夢のような達成感のあるシーンだったよ」。
インドにいる間には、アラビア海を見晴らす堂々たるインド門での撮影もおこなわれた。故郷のムンバイで撮影することの複雑さをよく知るディンプル・カパディアはこう語る。「こんな撮影は経験したことがなかった。これほど大所帯でインドまで来て、すべてをまとめ上げるなんて本当にすばらしい。撮影は時計のように規則正しく、きちんと整理されていて、見事にやり遂げられた。ノーラン監督とスタッフがインドで達成したことには、誰もが本当に驚かされたわ」。
デンマーク&ノルウェー
大波が打ち寄せる洋上での撮影
『TENET テネット』の冒頭部分で、主人公・名もなき男は、広大な洋上風力発電所にそびえ立つ風力タービンの中に隔離される。そこで次の動きを訓練し、その任務が明かされるまで待機する。その外観と内観は、デンマーク沖のバルト海にある風力発電所の実際のタービンで撮影された。天候が撮影に影響を与え続けた。「その地域で撮影する大きな問題のひとつが、天候だった。時折、40数ノットの風が吹き、2〜3メートルもの大波が打ち寄せるときもあった。」とマリンコーディネーターのニール・アンドレアは話す。洋上では、巨大な砕氷船でも撮影がおこなわれた。砕氷船自体があまりに大きすぎて、港に入ることができなかったため、約1.5キロの沖に停泊。キャスト、スタッフ、そしてカメラをはじめとする機材は、スタッフ用輸送船で陸から運ばれることになった。
ノルウェーのオスロでも1日撮影がおこなわれた。オスロ・オペラハウスの屋上で名もなき男とニールが会うシーン、そして街中で撮影された飛行機を墜落させる仕掛けについての話し合いのシーンなどだ。
アメリカ
本物の747ジャンボジェット機を激突
舞台はオスロだが、ジャンボジェット機激突のシーンは、モハーヴェ砂漠の南西側に位置するカリフォルニア州ビクタービルにある空港で撮影された。オスロ空港のターミナルの代役を務めたのは、ロサンゼルス国際空港のターミナルだった。ノーラン監督、美術のクローリー、製作総指揮のヘイスリップは、ビクタービルの空港に向かった。そこには、スクラップのために回収された古い旅客機が保管されている。ノーラン監督が決めていたのは、747ジャンボジェット機だった。
製作陣は、空港とボーイング社から許可を得る必要があった。映画のセットの一部である格納庫や敷地も所有していたからである。「そのシーンは、飛行機が車の上を走り、街灯をなぎ倒し、最終的にビルに激突し、火に包まれるというものだ。我々がしようとしていることは、どの空港も起こってほしくないと思うようなことだよ」とヘイスリップは認める。「彼らの同意を得たあと、ボーイング社の参加を取り付け、格納庫も保管してある飛行機も被害を受けることはないと証明する必要があった。だから、物理学者にスタントの動きを算出してもらい、飛行機の重量やブレーキのパワー、進む速度や停止のスピード、停止する場所を計算で出してもらった。そしてボーイング社に、『ここでボタンを押せば、飛行機は7メートル進み、ここで止まる』と伝えた。彼らはそれで問題ないと言ってくれたよ」。
安全面と操縦面の理由から、このジェット機は自力で地上を滑走することはできなかった。そこで、ジム・ウィルキーは学校に通って専門免許を取得したうえで、牽引車を運転して、飛行機を滑走路まで引っ張った。その後、飛行機は向きを変え、操縦はケーブル牽引システムが引き継ぎ、実際の衝突まで導いた。飛行機は車輪格納室近くのポッドに入ったドライバーが操縦した。「コックピットには誰も入らないようにし、衝撃の影響があるエリアからはできる限り離れてもらい、発火物の反対側にいてもらった」と特殊効果監修のスコット・フィッシャーは話す。
ヒメーシュ・パテル演じるアフマドは、そのシーンに不可欠なキャラクターである。「ノーラン監督は壮大な規模感の仕事をする。彼はすべての計画を綿密に立てているし、彼の撮影なら安心だとわかっている。その仕事を目撃できるなんて感動したよ」。
ロシアの廃墟の街で繰り広げられる、迷路のように最も入り組んだシーンの撮影は、3つの異なるロケーションでおこなわれた。その外観は、インディオ近くのイーグル・マウンテンという砂漠のゴーストタウンにある、今では廃坑となった鉄鉱石鉱山で撮影。イーグル・マウンテンでのシーンには、主役陣の俳優のほかに、スタントチーム全員と数百名のエキストラが参加した。ジョージ・コトルは背景となるエキストラに対して条件を出した。「それは元軍事関係者であることだった。エキストラの衣装は、銃や装備一式を備えた軍装にする予定だったからね。その上、砂漠の熱気の中で、一日10時間フル装備で撮影するには、精神面の強さも必要だった」。その状態での仕事に加えて、彼らは安全第一で設置された爆発がそこらじゅうで起こるなか、岩やビルのコンクリートの破片が散らばる起伏のある地形を走らなくてはいけなかった。
イーグル・マウンテンでのシーンの屋内撮影は、ワーナー・ブラザースのステージ16でおこなわれ、3つ目のロケーションは、ホーソンという街にある閉鎖された古いモール。そのモールには最大級の回転ドアが建てられた。クローリーはこう話す。「工業的で力強いコンクリート製の回転式入口につながる地下への入口だ。回転式入口をそこに作ったのは、ブルータリズム建築様式のテーマを継承するためだった」。回転ドアは全部で4つあったが、それぞれにユニークなデザインが施された。ひとつはエストニアの倉庫に建設され、ふたつはホーソン・モールに建てられた。4つ目はワーナー・ブラザースのステージ23に建てられた。