公開3日間で興行収入3億円を突破し、観客動員ランキング初登場実写No.1を獲得。いま多くの感動の声が寄せられている映画『余命10年』。10年にわたる茉莉と和人ふたりの物語に音で寄り添ったのは、実写映画初の劇伴を担当するRADWIMPSです。野田洋次郎さんは、撮影前に脚本を読んで主題歌と劇伴の一部を作り、キャストとスタッフの皆さんは、その音源を聴いて同じイメージを共有しながら撮影に臨みました。心の拠り所となった音楽はどのようにして作られたのか? 野田洋次郎さん(RADWIMPS)×藤井道人監督による特別対談が実現。貴重なインタビューをぜひご覧ください。
Q:主題歌「うるうびと」の歌詞は、和人の目線でつくられています。最初からそのような打ち合わせがあったのでしょうか?
藤井監督:なかったですね。台本をお渡しして、その感想を曲にしてくださいとお伝えさせていただきました。
野田さん:(藤井監督からは)最初から全幅の信頼を寄せていただいていたので、まずは思ったままにつくってみますとお伝えしました。ただ監督から「衣装合わせの前にデモがあると嬉しいです」と言われたので、一昨年の夏くらいにデモをお渡しました。
Q:楽曲はどのくらいの期間で作られたのですか?
野田さん:3カ月くらいですね。1年を通して撮影すると伺っていたので、(藤井監督から)撮影に入る前に「ここと、ここのシーンになんとなく入る曲も可能なら欲しい」と言われまして(笑)。
藤井監督:クランクイン前に野田さんに作ってもらった楽曲に対して、僕たちが映像をはめていくという、制作方法にチャレンジしたいという無茶振りを野田さんにお願いしました。途中で季節が移り替わる“点描”と呼んでいるシーンの2曲と、“茉莉ちゃんの夢”のシーンの3曲、クランクイン前につくっていただいた「うるうびと」のデモは、完成した音楽と比べてもほとんど細かいところは変わっていないんです。みんなあの曲を頼りに『余命10年』を撮り進めていきましたね。
野田さん:そこまで本当に預け切ってくださったのがすごいなと思いました。やっぱり作品は監督のものだと思っています。監督によってはオーダーを細かく積み上げるあげる方も沢山いらっしゃいますが、最初からすごく大きな懐で、間口で受け止めてくださいました。撮影前から『余命10年』はすごい作品になると感じていたので、それに全力でぶつかりたいなという気持ちでしたね。
Q:どのように「うるうびと」というタイトルを付けられたのでしょうか?
野田さん:「あといくつ」というサビの頭の歌詞が、ずっとサブタイトルとしてついていました。和人が持っている悔しさであったり、茉莉がどれだけ生きたかったのか、この世界をどれだけ愛していたのかというのを、映画を観た人たちが音楽を聴いた時に蘇ってくれたらいいなと思っていました。ただそこで終わっても欲しくなくて、やっぱり生き続ける僕らが聴き続けてこの世界の色合い、景色が違うものに見えて欲しい。その景色のどこにでも茉莉が生きているような感覚になれたらいいなという想いが強くて、歌詞がどんどん出てきましたね。タイトルを決めるのはいつも最後なのですが、今回もギリギリで決めました。閏年という言葉のイメージはあったんです。閏年というのは、四年に一度しかない稀有な一日ですよね。和人にとって茉莉がどれだけ稀有で、一つの人生でたった一人に巡り合える奇跡なのだということをタイトルでも言いたかったので、「うるうびと」という言葉が浮かんだ時にすごくしっくりきました。
藤井監督:アーティストが持つ良いところを引っ張り上げて、作品に馴染んでいない所を馴染ませることが自分の仕事で大事なところだなと思っているんです。まず野田さんにはフルパワーで作ってもらったものを、作品から反れたら一緒に直して、引っ込めてもらったものを出したりとか。そういう事を今回はちゃんと出来た気がします。野田さんとは俳優と監督としてご一緒したことがあるのですが、その時とやっている感覚は意外と変わらなかったです。出してもらったものに対して、一緒に作品を練り上げて作っていくという感覚は僕も初めてだったのですが、楽しかったです。
Q:作品と音楽が密接になっている作品なんですね。
藤井監督:音楽はもう一つの主人公だと思っています。野田さんが作ってくださった音楽が本当に見事に調和してくれたといいますか、野田さんがすごく作品に寄り添って、茉莉ちゃんに、和人に寄り添って曲を練りこんで作り上げてくれたから良かったんだと思います。
野田さん:俳優でご一緒した時も、一番最初は撮影前に脚本打ち合わせを何ヶ月かやりながら作り上げていき、その後役者として合流していきました。そして、今回本作では音楽を担当させてもらって、作品との向き合い方みたいなものも含め、互いにすごく理解し合っていた気がします。僕も現場でいえば音楽監督、バンドで言えば監督的な立場でやっているので、そこら辺の視点みたいなもので通ずる部分があるんだなと、勝手に思っているわけですが、その心地良さみたいなものを感じながら曲を作れたという感じです。
Q:お二人のお話しを聞いていて、考え方や感情の受け止め方が似ているのかなと思いました。
野田さん:藤井監督が「シーンによってはもう少しこういうのも聞いてみたいです」と仰ると、基本的には一回全部を吸収して、飲み込んで受け入れて作っていきます。それでもどうしても僕がこっちの方が良いと思った時は僕も折れないですし、監督自身も折れないんです。でもそんなときは、譲ったり、お互い分かり合っていたと思います。「ここだけはちょっと譲りたくないです」という場面があった時、監督は尊重してくださるので本当有難かったです。
藤井監督:お互い見えている図や想いは一緒ではありますが、音楽の細かい部分に関して僕は分からないので。「これが良い」と野田さんが信じてくれたものを自分は大事にしたい。僕が今回『余命10年』の音楽をやって欲しいと伝えて、承諾いただいた後「大体どれくらい曲数あるの?」と聞かれたときに、とっさに「15曲くらい…そんなに音楽多くないイメージなんですよ」とお伝えしたのですが、結果倍ぐらい作ってくださいました(笑)
野田さん:今回のサントラ30曲入りですね(笑)。こんなに音楽ばっかりで大丈夫なのかなって心配になりました。
Q:撮影していく中で、この作品には音楽が必要だと監督ご自身が感じたということでしょうか?
藤井監督:最初15曲とお伝えした時はそんなに考えていなかったのですが、劇伴音楽って“風”のような存在だと思うんですよ。野田さんの音楽もまさに“風”のようなもので、二人(茉莉と和人)はこんな“風”を受けているというような空気を作ってくださる。この映画をすごく多くの人に届けたいと思った時に、二人のお芝居が足りてないから、音楽を足すのではなくて、より豊かな空気の中で二人の芝居を良く見せたい。そこに野田さんの音楽がついてくださったというのが、一番曲が増えた要因なのかなと思います。
野田さん:僕は基本全てのシーンを全くの無音で観ながら楽曲を作るわけなのですが、あまりにも二人のお芝居が素晴らしすぎて、5~10回でもずっと観れちゃうんですよ。そうすると、音楽なんかいらないんじゃないか?という気にどんどんなっていきました(笑)。「何でこのシーンで音楽がいるんですか?二人がそこにいるだけで十分なんじゃないですか?」と藤井監督に言ったことがありました。そうしたら(藤井監督が)「野田さんがそのように受け取った感情を、映画館で観る全ての人達にちゃんと過不足なく伝わるように、そこに音楽が乗っかって欲しいんです」と言われたんです。僕は音が少ない映画が好きなのですが、「全ての人にちゃんと過不足なく届けるんだ」という意志をすごく感じたので、「なるほど、そういう事ならできるかもしれない」と思いました。一番の理想は観る人が、そこに音楽が鳴っていたのかどうかを気づかないくらいの状態になること。それくらいの音をこのシーンに乗せようという想いが沢山ありました。二人だけがそこにいる、「あれ?音何か鳴ってたっけ?」というような。ただ後からサントラを聴いた時にすぐそのシーンが甦る、魔法みたいなことをしたかったんです。
Q:普段の楽曲つくりと、本作での楽曲作りでの違いはありましたか?
野田さん:だんだんと歳を重ねていったせいもあるんですけど、僕は今回の方が個人的に自分として幸せが多いという感じがしましたね。今までは、自分が歌うために曲を作り、自分はこうなんだということを示して、それで多くの人に聞いてもらって、20年近くやってきました。でも今回は全く新しい違う喜びなんですよ。素晴らしい作品があって、そこに生きている瑞々しい登場人物と、監督の想いがあって。その人たちのために何ができるだろうと考えた時に、今回はもしかしたら喜びが強いと言うか、その人たちを喜ばせたい、監督を驚かせたいとか。そのために考えている時間がすごい好きですし、その両方があって音楽だと思いますね、すごく幸せでした。
Q:野田さんの気持ちの変化があった時に、藤井監督がお声掛けをしたというのは何か縁を感じますね。
藤井監督:野田さんとは4年前にドラマ「100万円の女たち」(18)の主演でご一緒させてもらいました。今回、自分にとっても多くの人に観てもらいたいという想いが出てきた時に、野田さんに全ての音楽を直接お願いしに行きました。いつかやってもらいたいとずっと思っていたのですが、自分にとってやっとそういう時期が来たなと。本当はこういう作品って、もっと分かりやすくセリフで説明したり、悲しかったら悲しいというものを、ある種記号的にもっと使うべきだという人もいるかもしれないですけど、そのやり方はやりたくなくて。でも映画館で週一回しか見ない中学生の女の子の人生を変えるくらいの映画にしたいという想いが今回あった中で、野田さんの音楽があれば大丈夫だという安心感があったから、脚本なども進められたのかなと今は思えますね。
Q:何故、“そういう時期”が来たと感じ、この作品と野田さんが繋がったのでしょうか?
藤井監督:10代の頃から(RADWIMPSさんの)音楽を聴き続けてきて、野田さんの音楽の特徴というのは目に見えない、人が言い表せない心の感情の機微というものをずっと届けてくれていたような気がしていて。僕たちも“映画でしか表現できないもの”というものを追い続けてきましたが、 “あと10年しか生きられない“という感情は言葉にはできないと思うんです。でも、小坂さんが生きた10年を野田さんの音楽で聞いてみたかったというところが一番大きな理由ですね。
野田さん:嬉しいですね。結果こういう作品が出来上がってみて、監督の直感は正しかったんだなと思いました。どこまで見えていたんだろうと思いましたけど、和人と茉莉が出会ったくらい、僕もすごく運命的なものをこの作品に感じますし、引き合わせてくれたんだなというのを感じますね。
Q:改めて楽曲制作ではなく、完成した作品を鑑賞したご感想は?
野田さん:藤井監督も最初仰っていたように、“余命モノ”と言われる映画を作るのは、まずそれだけで覚悟が必要ですし、観る側にも一つバイアスやフィルターがかかって観られるものであると思うんですよ。だけど、それを遥かに飛び越えるくらいの、まっすぐさというか、情熱というか、真摯さみたいなものが映像を観た時に、画面から飛び出してくるように感じました。これはすごい作品になるなというのを最初に感じましたね。小松さんだったり坂口君だったり監督からもずっと話も聞いていたし、全ての人たちが、そこに嘘なく生きているという姿が画面から滲み出てくる。それだけでものすごく価値があるなと思いました。ずっと残っていくような作品だなと感じましたし、このような作品に、初めて実写映画に音楽をつけられて本当に幸せでした。一生大事にしたいと思える映画です。キャスティング含めて、本当にすごいですよね。みんなが一つの意志のもと繋がっている感じが、観ていてすごかったです。
Q:藤井監督の作品にまた俳優として出演したいと思いますか?
野田さん:こんな大御所の監督になられてしまって(笑)。あの時(ドラマ「100万円の女たち」)はまだ新人同士でしたからね、ピチピチでしたよね(笑)。
藤井監督:僕は俳優としてもお願いしたいですね。例えばアクションとか。でもアクション練習を野田さんとやるのは緊張しますね(笑)。僕は野田さんといて一番気持ち良いのは、お互いが強制し合わないこと。いつかピタッと来るその瞬間を待てるから一番安心できるんです。次はもしかしたら、10年後になってしまっているかもしれませんが、また傑作が出来ると感じます。
野田さん:お互いが武者修行しているじゃないですけど、 HP(ヒットポイント) をどんどん増やすみたいな、(藤井監督に対して)「次会う時までにお前かっこよくなってろよ」という感覚がどこかにあって。俺も絶対次なんかやるんだったら驚かせたいし、どんな冒険をしてきたのかということを伝えたいし、藤井監督も多分そうやって生きていくだろうし、そういう戦友みたいな心強さは感じますね。
Q:お二人にとってこれまでの10年は、どのような10年でしたか?
藤井監督:デビューが26歳で、メジャーデビューがワーナー・ブラザースさんの映画でした。浮かれて頑張ったけど、全然ダメで。作品がというより、自分が監督として全然ディレクション出来ていなくて、人をまとめる力も技術もなくて。それで一回監督を辞めて、自主映画をまた撮り直し始めました。全部勉強し直してというのが二十代後半。ずっと録音の機材を勉強したり、 CGの 勉強をしたり、自分に体力をつけて戻ってきたいと思った一発目の作品が「100万円の女たち」で30歳の頃ですね。
野田さん:デビューして16年くらい経つんですけど、27歳くらいで初めて映画の主演の話を頂きました。それまでは自分の中で閉じながら音楽を作っていたのですが、10年ぐらい前からいろんな人と繋がっていって、コミュニケーションを取りながら違う分野で“表現“というものをしてみようと思い始めたんです。それがあって今があります。バンドはバンドの”自分達だけ”という美しさもあると思うんですが、それだけだと息が持たなかったと思います。この10年はいろんな出会いを求めながら、新しいものを自分が作れている10年間だったと思いますね 。
Q:これからの10年は如何でしょうか?
野田さん:藤井監督は45歳くらいが一番カッコ良さそうですね(笑)10年後もこのペースで作品を作っていそうです。
藤井監督:本当ですか?このペースでやっていったらやばいかな(笑)。変わんないというのが人生の目標というか。例えば、お金をたくさんもらって、かっこよく使えればいいんですけど、そうなれる自信がないので。あまり飾らず、作品でちゃんと語ると言うか、そういう大人になれなくなったら辞めようというのはなんとなく自分の中では考えていますね。
野田さん:藤井監督は変わらない気がする。多分自分の満足を、お金だったり名声だったりではダメで、自分の作品以外では満たせない気がします。そこは自分と通じるものがあるなと思いますね。人のために作っている時の喜びをどんどん知っていっているので、10年後もまた頭を抱えながら作品を作っているかもしれないですね。間違いなく今より自分が表に立っていくというのは減っていくと思います。見られるような、見てくれじゃなくなっていくかもしれないですし(笑)。でもそれがすごい楽しみです。例えば、自分よりもずっと違う歌い手さんのプロデュースをしてみたり、映画の音楽だろうと、何の音楽だろうとそこに自分の何かを足したら面白いものになるだろうなというのに挑んでいるんじゃないかなと思います。そうゆう化学変化を楽しんでいて欲しいなと思いますね。
Q:最後に、命や人生について、この作品からどのように受け止めましたか?
野田さん:間違いなく言えるのは、映画を観終わったら、日々起きて迎えていた今日という日やその日、一日を終えた時の感覚だったりとかがが違う景色に見えるのは間違いないだろうなと思います。僕らはどこかで、この日常がタダでもらえるものだと思っている。努力もせず、なんの願いも込めずに明日が来ると思っている。その感覚で沢山のものを見失う日々を過ごしている。でも今日という日は自分で掴み取って、その意志で生き抜くものなんだなという、当たり前のことに気づかせてくれる。そのことで変わる景色がものすごくあると思うんですよ。それだけでこの映画の価値があるなと思いますし、僕はそれだけで本当に感謝ですね。
藤井監督:素晴らしいですね。野田さんが言ってくださったことが自分にも当てはまると思います。野田さんにオファーした時から、俳優たちに話した時から、スタッフに話した時から気持ちは変わっていません。この二年くらい、僕たちは自由を失った時間があって、あんなに怠惰に過ごしていた一日、一日ですら、すごく愛おしく思えるようになりました。その一日はこの本を作ってくれた小坂さんが生きられなかった一日かもしれない。その一日を自分が責任をもって伝えたい、明日の一日を考えられる映画になってほしいという願いを込めて、この映画を作り始めました。その想いが伝わってくれればいいなと思いますし、伝わって欲しいですね。
― Special Interview ―
RADWIMPS野田洋次郎 × 藤井道人監督
公開3日間で興行収入3億円を突破し、観客動員ランキング初登場実写No.1を獲得。いま多くの感動の声が寄せられている映画『余命10年』。10年にわたる茉莉と和人ふたりの物語に音で寄り添ったのは、実写映画初の劇伴を担当するRADWIMPSです。野田洋次郎さんは、撮影前に脚本を読んで主題歌と劇伴の一部を作り、キャストとスタッフの皆さんは、その音源を聴いて同じイメージを共有しながら撮影に臨みました。心の拠り所となった音楽はどのようにして作られたのか? 野田洋次郎さん(RADWIMPS)×藤井道人監督による特別対談が実現。貴重なインタビューをぜひご覧ください。
Q:主題歌「うるうびと」の歌詞は、和人の目線でつくられています。最初からそのような打ち合わせがあったのでしょうか?
藤井監督:なかったですね。台本をお渡しして、その感想を曲にしてくださいとお伝えさせていただきました。
野田さん:(藤井監督からは)最初から全幅の信頼を寄せていただいていたので、まずは思ったままにつくってみますとお伝えしました。ただ監督から「衣装合わせの前にデモがあると嬉しいです」と言われたので、一昨年の夏くらいにデモをお渡しました。
Q:楽曲はどのくらいの期間で作られたのですか?
野田さん:3カ月くらいですね。1年を通して撮影すると伺っていたので、(藤井監督から)撮影に入る前に「ここと、ここのシーンになんとなく入る曲も可能なら欲しい」と言われまして(笑)。
藤井監督:クランクイン前に野田さんに作ってもらった楽曲に対して、僕たちが映像をはめていくという、制作方法にチャレンジしたいという無茶振りを野田さんにお願いしました。途中で季節が移り替わる“点描”と呼んでいるシーンの2曲と、“茉莉ちゃんの夢”のシーンの3曲、クランクイン前につくっていただいた「うるうびと」のデモは、完成した音楽と比べてもほとんど細かいところは変わっていないんです。みんなあの曲を頼りに『余命10年』を撮り進めていきましたね。
野田さん:そこまで本当に預け切ってくださったのがすごいなと思いました。やっぱり作品は監督のものだと思っています。監督によってはオーダーを細かく積み上げるあげる方も沢山いらっしゃいますが、最初からすごく大きな懐で、間口で受け止めてくださいました。撮影前から『余命10年』はすごい作品になると感じていたので、それに全力でぶつかりたいなという気持ちでしたね。
Q:どのように「うるうびと」というタイトルを付けられたのでしょうか?
野田さん:「あといくつ」というサビの頭の歌詞が、ずっとサブタイトルとしてついていました。和人が持っている悔しさであったり、茉莉がどれだけ生きたかったのか、この世界をどれだけ愛していたのかというのを、映画を観た人たちが音楽を聴いた時に蘇ってくれたらいいなと思っていました。
ただそこで終わっても欲しくなくて、やっぱり生き続ける僕らが聴き続けてこの世界の色合い、景色が違うものに見えて欲しい。その景色のどこにでも茉莉が生きているような感覚になれたらいいなという想いが強くて、歌詞がどんどん出てきましたね。
タイトルを決めるのはいつも最後なのですが、今回もギリギリで決めました。閏年という言葉のイメージはあったんです。閏年というのは、四年に一度しかない稀有な一日ですよね。和人にとって茉莉がどれだけ稀有で、一つの人生でたった一人に巡り合える奇跡なのだということをタイトルでも言いたかったので、「うるうびと」という言葉が浮かんだ時にすごくしっくりきました。
藤井監督:アーティストが持つ良いところを引っ張り上げて、作品に馴染んでいない所を馴染ませることが自分の仕事で大事なところだなと思っているんです。まず野田さんにはフルパワーで作ってもらったものを、作品から反れたら一緒に直して、引っ込めてもらったものを出したりとか。そういう事を今回はちゃんと出来た気がします。野田さんとは俳優と監督としてご一緒したことがあるのですが、その時とやっている感覚は意外と変わらなかったです。出してもらったものに対して、一緒に作品を練り上げて作っていくという感覚は僕も初めてだったのですが、楽しかったです。
Q:作品と音楽が密接になっている作品なんですね。
藤井監督:音楽はもう一つの主人公だと思っています。野田さんが作ってくださった音楽が本当に見事に調和してくれたといいますか、野田さんがすごく作品に寄り添って、茉莉ちゃんに、和人に寄り添って曲を練りこんで作り上げてくれたから良かったんだと思います。
野田さん:俳優でご一緒した時も、一番最初は撮影前に脚本打ち合わせを何ヶ月かやりながら作り上げていき、その後役者として合流していきました。そして、今回本作では音楽を担当させてもらって、作品との向き合い方みたいなものも含め、互いにすごく理解し合っていた気がします。
僕も現場でいえば音楽監督、バンドで言えば監督的な立場でやっているので、そこら辺の視点みたいなもので通ずる部分があるんだなと、勝手に思っているわけですが、その心地良さみたいなものを感じながら曲を作れたという感じです。
Q:お二人のお話しを聞いていて、考え方や感情の受け止め方が似ているのかなと思いました。
野田さん:藤井監督が「シーンによってはもう少しこういうのも聞いてみたいです」と仰ると、基本的には一回全部を吸収して、飲み込んで受け入れて作っていきます。それでもどうしても僕がこっちの方が良いと思った時は僕も折れないですし、監督自身も折れないんです。でもそんなときは、譲ったり、お互い分かり合っていたと思います。「ここだけはちょっと譲りたくないです」という場面があった時、監督は尊重してくださるので本当有難かったです。
藤井監督:お互い見えている図や想いは一緒ではありますが、音楽の細かい部分に関して僕は分からないので。「これが良い」と野田さんが信じてくれたものを自分は大事にしたい。僕が今回『余命10年』の音楽をやって欲しいと伝えて、承諾いただいた後「大体どれくらい曲数あるの?」と聞かれたときに、とっさに「15曲くらい…そんなに音楽多くないイメージなんですよ」とお伝えしたのですが、結果倍ぐらい作ってくださいました(笑)
野田さん:今回のサントラ30曲入りですね(笑)。こんなに音楽ばっかりで大丈夫なのかなって心配になりました。
Q:撮影していく中で、この作品には音楽が必要だと監督ご自身が感じたということでしょうか?
藤井監督:最初15曲とお伝えした時はそんなに考えていなかったのですが、劇伴音楽って“風”のような存在だと思うんですよ。野田さんの音楽もまさに“風”のようなもので、二人(茉莉と和人)はこんな“風”を受けているというような空気を作ってくださる。この映画をすごく多くの人に届けたいと思った時に、二人のお芝居が足りてないから、音楽を足すのではなくて、より豊かな空気の中で二人の芝居を良く見せたい。そこに野田さんの音楽がついてくださったというのが、一番曲が増えた要因なのかなと思います。
野田さん:僕は基本全てのシーンを全くの無音で観ながら楽曲を作るわけなのですが、あまりにも二人のお芝居が素晴らしすぎて、5~10回でもずっと観れちゃうんですよ。そうすると、音楽なんかいらないんじゃないか?という気にどんどんなっていきました(笑)。「何でこのシーンで音楽がいるんですか?二人がそこにいるだけで十分なんじゃないですか?」と藤井監督に言ったことがありました。そうしたら(藤井監督が)「野田さんがそのように受け取った感情を、映画館で観る全ての人達にちゃんと過不足なく伝わるように、そこに音楽が乗っかって欲しいんです」と言われたんです。僕は音が少ない映画が好きなのですが、「全ての人にちゃんと過不足なく届けるんだ」という意志をすごく感じたので、「なるほど、そういう事ならできるかもしれない」と思いました。
一番の理想は観る人が、そこに音楽が鳴っていたのかどうかを気づかないくらいの状態になること。それくらいの音をこのシーンに乗せようという想いが沢山ありました。二人だけがそこにいる、「あれ?音何か鳴ってたっけ?」というような。ただ後からサントラを聴いた時にすぐそのシーンが甦る、魔法みたいなことをしたかったんです。
Q:普段の楽曲つくりと、本作での楽曲作りでの違いはありましたか?
野田さん:だんだんと歳を重ねていったせいもあるんですけど、僕は今回の方が個人的に自分として幸せが多いという感じがしましたね。今までは、自分が歌うために曲を作り、自分はこうなんだということを示して、それで多くの人に聞いてもらって、20年近くやってきました。でも今回は全く新しい違う喜びなんですよ。素晴らしい作品があって、そこに生きている瑞々しい登場人物と、監督の想いがあって。その人たちのために何ができるだろうと考えた時に、今回はもしかしたら喜びが強いと言うか、その人たちを喜ばせたい、監督を驚かせたいとか。そのために考えている時間がすごい好きですし、その両方があって音楽だと思いますね、すごく幸せでした。
Q:野田さんの気持ちの変化があった時に、藤井監督がお声掛けをしたというのは何か縁を感じますね。
藤井監督:野田さんとは4年前にドラマ「100万円の女たち」(18)の主演でご一緒させてもらいました。今回、自分にとっても多くの人に観てもらいたいという想いが出てきた時に、野田さんに全ての音楽を直接お願いしに行きました。いつかやってもらいたいとずっと思っていたのですが、自分にとってやっとそういう時期が来たなと。本当はこういう作品って、もっと分かりやすくセリフで説明したり、悲しかったら悲しいというものを、ある種記号的にもっと使うべきだという人もいるかもしれないですけど、そのやり方はやりたくなくて。でも映画館で週一回しか見ない中学生の女の子の人生を変えるくらいの映画にしたいという想いが今回あった中で、野田さんの音楽があれば大丈夫だという安心感があったから、脚本なども進められたのかなと今は思えますね。
Q:何故、“そういう時期”が来たと感じ、この作品と野田さんが繋がったのでしょうか?
藤井監督:10代の頃から(RADWIMPSさんの)音楽を聴き続けてきて、野田さんの音楽の特徴というのは目に見えない、人が言い表せない心の感情の機微というものをずっと届けてくれていたような気がしていて。僕たちも“映画でしか表現できないもの”というものを追い続けてきましたが、 “あと10年しか生きられない“という感情は言葉にはできないと思うんです。でも、小坂さんが生きた10年を野田さんの音楽で聞いてみたかったというところが一番大きな理由ですね。
野田さん:嬉しいですね。結果こういう作品が出来上がってみて、監督の直感は正しかったんだなと思いました。どこまで見えていたんだろうと思いましたけど、和人と茉莉が出会ったくらい、僕もすごく運命的なものをこの作品に感じますし、引き合わせてくれたんだなというのを感じますね。
Q:改めて楽曲制作ではなく、完成した作品を鑑賞したご感想は?
野田さん:藤井監督も最初仰っていたように、“余命モノ”と言われる映画を作るのは、まずそれだけで覚悟が必要ですし、観る側にも一つバイアスやフィルターがかかって観られるものであると思うんですよ。だけど、それを遥かに飛び越えるくらいの、まっすぐさというか、情熱というか、真摯さみたいなものが映像を観た時に、画面から飛び出してくるように感じました。これはすごい作品になるなというのを最初に感じましたね。小松さんだったり坂口君だったり監督からもずっと話も聞いていたし、全ての人たちが、そこに嘘なく生きているという姿が画面から滲み出てくる。それだけでものすごく価値があるなと思いました。ずっと残っていくような作品だなと感じましたし、このような作品に、初めて実写映画に音楽をつけられて本当に幸せでした。一生大事にしたいと思える映画です。キャスティング含めて、本当にすごいですよね。みんなが一つの意志のもと繋がっている感じが、観ていてすごかったです。
Q:藤井監督の作品にまた俳優として出演したいと思いますか?
野田さん:こんな大御所の監督になられてしまって(笑)。あの時(ドラマ「100万円の女たち」)はまだ新人同士でしたからね、ピチピチでしたよね(笑)。
藤井監督:僕は俳優としてもお願いしたいですね。例えばアクションとか。でもアクション練習を野田さんとやるのは緊張しますね(笑)。僕は野田さんといて一番気持ち良いのは、お互いが強制し合わないこと。いつかピタッと来るその瞬間を待てるから一番安心できるんです。次はもしかしたら、10年後になってしまっているかもしれませんが、また傑作が出来ると感じます。
野田さん:お互いが武者修行しているじゃないですけど、 HP(ヒットポイント) をどんどん増やすみたいな、(藤井監督に対して)「次会う時までにお前かっこよくなってろよ」という感覚がどこかにあって。俺も絶対次なんかやるんだったら驚かせたいし、どんな冒険をしてきたのかということを伝えたいし、藤井監督も多分そうやって生きていくだろうし、そういう戦友みたいな心強さは感じますね。
Q:お二人にとってこれまでの10年は、どのような10年でしたか?
藤井監督:デビューが26歳で、メジャーデビューがワーナー・ブラザースさんの映画でした。浮かれて頑張ったけど、全然ダメで。作品がというより、自分が監督として全然ディレクション出来ていなくて、人をまとめる力も技術もなくて。それで一回監督を辞めて、自主映画をまた撮り直し始めました。全部勉強し直してというのが二十代後半。ずっと録音の機材を勉強したり、 CGの 勉強をしたり、自分に体力をつけて戻ってきたいと思った一発目の作品が「100万円の女たち」で30歳の頃ですね。
野田さん:デビューして16年くらい経つんですけど、27歳くらいで初めて映画の主演の話を頂きました。それまでは自分の中で閉じながら音楽を作っていたのですが、10年ぐらい前からいろんな人と繋がっていって、コミュニケーションを取りながら違う分野で“表現“というものをしてみようと思い始めたんです。それがあって今があります。バンドはバンドの”自分達だけ”という美しさもあると思うんですが、それだけだと息が持たなかったと思います。この10年はいろんな出会いを求めながら、新しいものを自分が作れている10年間だったと思いますね 。
Q:これからの10年は如何でしょうか?
野田さん:藤井監督は45歳くらいが一番カッコ良さそうですね(笑)10年後もこのペースで作品を作っていそうです。
藤井監督:本当ですか?このペースでやっていったらやばいかな(笑)。変わんないというのが人生の目標というか。例えば、お金をたくさんもらって、かっこよく使えればいいんですけど、そうなれる自信がないので。あまり飾らず、作品でちゃんと語ると言うか、そういう大人になれなくなったら辞めようというのはなんとなく自分の中では考えていますね。
野田さん:藤井監督は変わらない気がする。多分自分の満足を、お金だったり名声だったりではダメで、自分の作品以外では満たせない気がします。そこは自分と通じるものがあるなと思いますね。人のために作っている時の喜びをどんどん知っていっているので、10年後もまた頭を抱えながら作品を作っているかもしれないですね。間違いなく今より自分が表に立っていくというのは減っていくと思います。見られるような、見てくれじゃなくなっていくかもしれないですし(笑)。でもそれがすごい楽しみです。例えば、自分よりもずっと違う歌い手さんのプロデュースをしてみたり、映画の音楽だろうと、何の音楽だろうとそこに自分の何かを足したら面白いものになるだろうなというのに挑んでいるんじゃないかなと思います。そうゆう化学変化を楽しんでいて欲しいなと思いますね。
Q:最後に、命や人生について、この作品からどのように受け止めましたか?
野田さん:間違いなく言えるのは、映画を観終わったら、日々起きて迎えていた今日という日やその日、一日を終えた時の感覚だったりとかがが違う景色に見えるのは間違いないだろうなと思います。僕らはどこかで、この日常がタダでもらえるものだと思っている。努力もせず、なんの願いも込めずに明日が来ると思っている。その感覚で沢山のものを見失う日々を過ごしている。でも今日という日は自分で掴み取って、その意志で生き抜くものなんだなという、当たり前のことに気づかせてくれる。そのことで変わる景色がものすごくあると思うんですよ。それだけでこの映画の価値があるなと思いますし、僕はそれだけで本当に感謝ですね。
藤井監督:素晴らしいですね。野田さんが言ってくださったことが自分にも当てはまると思います。
野田さんにオファーした時から、俳優たちに話した時から、スタッフに話した時から気持ちは変わっていません。この二年くらい、僕たちは自由を失った時間があって、あんなに怠惰に過ごしていた一日、一日ですら、すごく愛おしく思えるようになりました。その一日はこの本を作ってくれた小坂さんが生きられなかった一日かもしれない。その一日を自分が責任をもって伝えたい、明日の一日を考えられる映画になってほしいという願いを込めて、この映画を作り始めました。その想いが伝わってくれればいいなと思いますし、伝わって欲しいですね。